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徳衛門

Author:徳衛門
ほんのひとり言

青い空と酒があれば
どこだって住めるさなどと
若者じゃあるまいし

しかし年は気にせず
姿かたちも忘れてしまい

世間様に恥と顰蹙を
撒き散らしながらも
生きてます

AquariumClock 2

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日本とフィリピン 往復おやじのひとりごと
フィリピンには愛しき妻子? 日本には世話のやける爺婆? こちらを立てればあちらが立たず? どちらに行っても肩身がせまい・・・ ハズですが・・・ 大きな顔してエンジョイしてます
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フィリピンに行ってきました ②

部屋に戻り、疲れて眠いですが
ケンケンに公文を少しさせよう


そう思ってカミさんに声をかけますが

カミさん
「ケンケンに公文のブックレットを2日分持っていくように言っていたのに
 忘れてきている」

当たり前だろう
プ~ルに行くのに頭がいっぱいで
ハナから勉強しようとなんて思わないし
持ってくるハズもない

だから私はおまえさんに持ってくるように言ったのに

まあそれ以上言っても仕方ないので
全員すぐ爆睡しましたが、、、

翌朝6時起床
7時にはプ~ルに

ここは公営なのでチェックアウトは11時
15分までは許すがそれ以上過ぎるとペナルティ

まあ10時まで遊んでまわれば十分だろう

しかしケンケンは10時になろうとしても
「まだまだ」  「まだまだ」を繰り返します

「また来ればいいじゃないか」

それから彼はご機嫌ナナメでしたが

シャワ~をして荷物をもって国道に出ると2~3分でブエンディア行きのバスが来て乗り込み
バス料金を払うとすぐに爆睡
起きるともうマカティとパサイの境目
SLEXだと早いですね

バスを降りるとこれまた2~3分でSMサウス行きのバスがきて
飛び乗り30分ほどでベルダン
トライシケルで10分後には家に着きました

時間にして3時間弱
交通費も1人当たり往復で600p弱

これだと庶民のリゾ~トになれますね
バギオは遠いし高いですがここだと充分です

家に帰り、息子に公文をさせ私は爆睡

夕方起きると息子はまだ公文をしています
因数分解ですがやはり日本のやり方でしょう
最初はカンタンですがすぐに複雑になって
1ペ~ジの表裏 22問中7問、間違っていますし
4時間してもまだだいぶ残っています

こりゃ~いかんぞ

息子も最近サボリ気味

そりゃ~そうでしょう
1日6時間や8時間公文の算数やっていれば
遊びにも行けないし、ギタ~も弾けない
なんたって彼女とFacebookでやり取りできない

そりゃあ私の息子ですから問題集隠しても遊びに行きますよね

それからマッサ~ジに行くつもりでしたが中止して
11時まで様子を見ながらさせました

翌日はカミさんとマッサ~ジに行ってバクラ~ランで買い物でもするつもりでしたが
朝7時から息子に付きっきり

息子も最近サボッていますのでアタマも混乱して

それを一つ一つ説明して
問題を解いていきます

今は1冊8時間かかっても慣れれば6時間、4時間、3時間と早くなっていく

それにしても本人も大変なことになっているし
それを母親は全然理解していないし
私は日本ですからまったく何も知らないでいた

迂闊でしたね

夜の8時までかかってやっと3冊終わりました
英語の4冊は手付かずでしたが、、、

しかし私としてはこれでいいのではないかと思っています

私の子ですから勉強より遊んだほうが楽しいし
女の子も大事
そして女の子や野郎どもに受けるためにギタ~も上手になりたい

しかし私たちはフィリピンで何のコネもないしツテもない
すべて息子が努力していくしか道はないし
すべてナシ、0にせよとまでは言いませんが
限りある時間を勉強に費やしていくしか方法はありません

おまえが公文をさぼってGive upすれば
わたしもおまえさんをGive upしてレイテに帰す

そう言い渡していますし

本人もひたすら問題を解いていけば
遊ぶ時間は減少されていき
ひとりで勉強する習慣がついていくかもしれない

期待通りに物事は進んでいきませんが

何とかそのように持っていければ

そう思っています


それからラスピニャスの知人が我が家にやってきて
3時間弱談笑

カミさんも喜んでました


8月の稼ぎ時
こころの声を聴いたような気がして
欲をブチ切って行ったラスピニャス

やっぱり行って良かったです

ここで行かなかったら息子はすぐに押し流されていたでしょうし

結局ダメでも親としてできる限りのことはしてやりたい

今まで一度も口に出すことはありませんでしたが
今回初めてカミさんが10回くらい、息子が3回

「パパ日本に帰らないでくれ」

そう頼んできました

2人ともけっこう追い詰められていたのかもしれません

私もそうしたい

しかし私はフィリピンで二人を養っていくほどの甲斐性がありませんし
スキルもないしそれを伝えるツ~ルである英語フィリピン語も出来ません

申し訳ないけれど
日本でタクシ~の運転手してお金を作るしかない

ごめんね

しかし私としてできる限りのことはするから


今回も行って良かったです
行かなければ後悔するほど行って良かったです

ただ、、、最後のところで息子のことで手一杯

お土産も買ってないし手ぶらで日本に戻ってきました

今日から仕事ですが

何もなかったように
何もなかったかのように

サラリと時間を過ごして

やり過さなくちゃいけませんが、、、、



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フィリピンに行ってました


9月5日 火曜日

小雨が降って少し寒い福岡です

昨日フィリピンから戻ってきて
まだまだ猛暑が続いているとばかり思っていたのですが
着陸前の確か2時過ぎぐらいだった飛行機のアナウンスで

「ただいまの福岡の気温、摂氏25℃でございます」

え~~?
もう秋になっているんだ

うれしいような
拍子抜けしたような

しかし、、、もういいですよね猛暑の日本は


今回は8月28日~9月4日までの渡比
本来は8月は売り上げが上がる月なのですが
どうしても行きたくなっていたところに

スカイプで「ケンケンが言うことを聞かない」と
カミさんが泣いている姿を見ましたし

収入を捨てても
「やっぱり行こう」と

行ってみると
健太郎もまた背が伸びてもう私の眉毛までありますし
背が伸びる時期なのか身体はスリムになって

人間もブタも一緒で
背が伸びてそのあと太って肉が付くとまた背が伸びて
それを繰り返しながら成長していくものなのでしょう

翌朝、学校に送っていくために待っていると
なかなか2階から降りてきません

カミさんに「何やってんだ?」と問いかけると

「髪をジェルでセットしている」

「ふ~~ん」と頷きながらも
もうトニックの時代じゃないんだなと少し寂しい気持ちに

少しして降りてくる姿を見て
「コヤツ、、、女ができたな」

そのことには触れずに学校に送っていきました

家に戻りカミさんに尋ねると
同じクラスの女の子で毎日Facebookでやり取りしているとのこと

カミさんがそれを読んで、、、

そして黙っていればいいものを
ピノイというかピナイですからすぐそれを本人に話して

それから本人は名前を変えて
それでも探し出されると終いには暗証番号変えてロックしてしまい
カミさんは万事休す

それと息子は最近ギタ~にハマっているようで、、、

今の世の中、便利なもので
Youtubeで弾き方、練習の仕方まで
映像で見れますし

まあ私も同じことをやってきたので
あまりやかましく言えませんが、、、

しかし公文に行く火曜日の前日
まあ月曜日ですが
カミさんがチェックすると問題集を3日分やってなくて隠していたことが発覚

この時は私も声を出して叱責
本人は晩飯も食べずに泣きながらやっていました

私も甘かったし状態を把握してなかったので
公文の帰りに息子が欲しがっていたフォ~クギタ~を買って

値段は5分の1ですが
私が高校1年生の時に買ったモ~リスより弾きやすいし音もよい

息子は喜んで
家に帰ると晩御飯も食べずに弾いていました

次の公文の日、木曜までは通常通り
そして金曜日が休日になると政府が発表して

それだったらケンケンを無理に学校を休ませなくても
ロスバニョスのプ~ルに行けるし
急遽休みなので部屋も取れるかもしれないぞ

金曜日は早朝から息子をたたき起こし
6時には出発のつもりですが
約2名はピノイ
7時に家を出てトライシケルでべルダン
ロ~トン行きのバスに飛び乗りブエンディア

DLTBに乗るつもりでしたが7時50分
「ロスバニョス」 「ロスバニョス」と叫んでいたら
最初にあるバス会社の車掌が「これ」「これに乗れ」
行先は「サンタクルス」

本当に大丈夫か?ヘンなところで降ろされてもいやだしな

乗客はまばらだったので
「いつ出発するんだ?」
「すぐ」

だったら8時発だろうと乗り込み
乗客に「ロスバニョスに行くか?」
「Oo」

まあ大丈夫だろう、、、

ただ8時になっても乗客は10人ほどでバスは動く気配なし

しかし8時過ぎると急に人がバタバタと乗ってきて
すぐ満席
8時10分に運転手が乗り込んできた時には立つ乗客も3人

いつもながらよくわからないフィリピンですが
これでいよいよ出発だな

車内にはWIFIがあり
息子にセッテングさせネットもスム~ズに使えるし
息子に席を変わらせ、カミさんを横に座らせて
ホテル名と電話番号をメモして

片っ端から電話させるも
「満室です」「満室です」ばかり

やはりフィリピンでは有名リゾ~ト
当日ではムリかな?

しかしどこに行っても空いた宿はあるはずだし

1軒 MAKILING HIGHLAND RESORTは電話に出ない

ここは安いし、プ~ルもいっぱいあるし、ウオ~タ~スライダ~もいっぱい
狙い目なのですが評価はイマイチ

とりあえずそこに行ってみるか
腹を決めると急に眠くなりそのまま爆睡

起きるとカランバを過ぎ、道路ぎわには浮袋がいっぱい並んでいます

「ありゃ~通り過ぎたか?」

あわててカミさんのタブレットにMAKILING HIGHLAND RESORTの地図を出させると
ホテルの名前とマ~クが出てその少し前の道路上に青丸が

「これは何だ?」

「We are here」

世の中はここまで進化しとるんか
日本では聞いていたがこのフィリピンの田舎でも、、、

これさえあれば人に聞くこともない

ホテルに行く交差点に青丸が来たとき

「ぱ~ら~~」

フィリピンのバスですから少し通り過ぎましたが

私たちがバスを降りると
車掌は怪訝な顔をして「もっと先」と指差しています

コイツは私を韓国人だと思って88温泉に行くものだと思っているのだろう
しかし私は日本人
88温泉じゃなく8段格下のピノイ庶民御用達リゾ~トに行くのだ

MAKILING HIGHLAND RESORTに行く道を確認して
「さらまっぽ~」でサヨナラ

ネットで「急坂なのでタクシ~かトラシシケル利用がよい」と書いてあり 
覚悟して歩いていくと拍子抜けするくらいあっけなく到着

日本人なら歩いてもゼンゼン問題ないじゃない

門をくぐり姿を見ると

「ありゃ~これは公営じゃない?」
カミさんもすかさず「public」

私がすぐ契約してお金を払おうとすると
カミさんが「先に部屋を見た方がいいんじゃない?」

そうだな、、、ボ~イが荷物をもって3人で部屋に
狭いけど新しいしエアコン、トイレ、シャワ~洗面所の水もバッチリ

私がレセプションに戻り契約書を書いていると
電話が鳴り、女の子が上司に尋ねると

「今晩はノンエアコンル~ムが2部屋残っているだけ」

お~~間一髪セ~フ

まあ公営ですから評価が良いはずもなく
多くを望むことは出来ませんが
私のようなタクシ~運転手の家族だとこれで十分

すぐプ~ルに飛び込み
息子は遊びまわり、カミさんも満足そう

それにしても子供は元気ですね

プ~ルサイドのテ~ブルで
日本から持ってきたフランスパンにハムとレタス、キュウリを挟んだ
サンドイッチを食べる暇も惜しんで走ってプ~ルに戻っていきます

私たちは「元気、元気」と頷くだけ

夕方まで泳いだりウオ~タ~スライダ~で水中に突撃したり

もうクタクタ状態でしたが
前日に突然の夕立が来て
まるで台風並みでしたので
私たちには現金が残っていず

トコトコとハイウエイまで歩きジプニ~に乗ってカランバの街まで

ATMでお金をおろしミニストップで缶ビ~ル、ジュ~ス、水を買って
チャイニ~ズレストランを探しますが見当たりません
海外をほっつき歩いていた私はテクテク歩きながらも
嗅覚を働かせているとトロトロらしきものが
店じゃなく倉庫の入り口のようなところにテ~ブルが少し

ただ、品数は豊富で人だかりが絶えません
ほとんど全部の人が持ち帰りですが、、、

「ここは当たりだぞ」

カミさんも頷いて

食べるとき買ってきたビ~ルを飲んでいいか?

「あっちでOK」と奥を指差しています

そこはちょうど陰になり表から見えませんが
屋根はあるけど壁はなく
室内のような野外のような

しかし私にとってはベストポジション
ビ~ルは飲めるし、タバコは吸える
そして味がよく、なんたって安い

ご飯3人分、名前は忘れたけどバ~カのス~プ
おかずが8品

このチキンカリ~、ママの味に似ているね
ビコ~ルエキスプレスも良く、家に戻ってからカミさんが早速マネして作っていました

お腹も減っていましたし
全員で堪能して支払金額はジョリビ~2人分より安い

この世の幸せを感じながらジプニ~に乗り
急坂も何のそので部屋に帰りました



先人に感謝です


8月16日 水曜日

曇りですが雲の切れ間から日が差すと
「あぢ~~」と声が出てきます

さて、、、

初盆も終戦記念日も昨日で終わり
今日からはまたごく普通の日になりました

、、、、とはいってもほとんど毎日仕事していますから
あんまり変わり映えはしない日々なのですけどね

昨日休みだったので父のところに行き
晩御飯を食べさせていると
テレビで72年目の終戦記念日と言っていました

「あ~~もう72年も経ったんだ」

ふと、、、そう思ったのですが

考えてみれば昭和30年生まれの私が年末には62歳になるし
昭和20年だとピッタリカンカン72年ですよね

は~~終戦の日も遠くなったけど
昭和30年も遠くなったものだね

私が子どもの頃は戦争というものがまだ身近にありました
まわりの大人たちは皆さん戦争体験者だったですし

しばらくすると「戦争を知らない子供たち」の世代になっていき
今では戦争を知っている人は僅かほんのひと握り
誰も知らないと言ってもいいくらいになってしまいました

しかしそれでいいのですよね
時の流れは誰も止められないし
知らないといえばそれが起こらなかった証拠ですから

良いところも悪いところもあるでしょうが
アメリカの核の傘の中に入り
悲惨な戦争を見ることも体験することもなしに72年間過ごしてこれた

これだけでも幸せなことですし
それからの繁栄
豊かさを誰しも程度の差はあれ味わえた
私たちは幸せな世代だったのでしょう

北朝鮮なんて朝鮮戦争後は戦争は起こらず平和は保たれましたが
繁栄には程遠く

金正日が
「国民全員に米を食べさせたい」
このレベルですから

終戦間際ポツダム宣言受諾の際、1番モメたのは
このまま戦争を終わらせると日本に共産革命が起こり
天皇は倒され、国体は崩御する

共産革命を恐れていたのでしょうが

私のような天邪鬼はすぐヨコに考えてしまうのです

なぜそんなに恐れたのか?
それは逆に言うと
日本のインテリというかエリ~ト層は共産主義を信じていたのでしょうね

トップクラスは別かもしれませんが
実際に実務をやっている人たち
地位はそれなりにあっても軍人役人に問わずしょせん給料ですし

日本が結束している間はこれほどのモノでも何とか防ぐことができるが
戦争に負け空白期間ができるとたちまち席巻されてしまう

それは憧れの裏返しのようなものかもしれません

戦後、インテリを先頭にサヨク全盛になったのも
今はエリ~ト層に属していてもいずれ共産革命が起これば奴隷になる
それならば先に共産社会の管理職への道を目指した方が賢い生き方だ
奴隷にならずに済む

同じようなものですよね

ほんの一部の人がこの思想に共鳴していただけでなく
かなりの人が心の中で信じていたのでしょう

だから怖かった

日本の中で雪崩を打つ可能性があったから、、、


しかし日本はそうはならなかった

アタマが良いというより
努力して学校の成績だけが良いインテリたちよりも
先を見通す力を持った賢明な人たちがいて
それに賛同する人たちが多かった

底の浅いインテリたちが目指した道のその行く先は
少し前の中国や東欧、そして今でも続いている北朝鮮

日本でもこの底の浅い連中が跋扈したおかげで戦争への道を突き進み
やがて破局

しかし国のすべてを失っても
これ以上の地獄に落とさせないと
底の浅い連中を食い止め
増殖させずに日本人を守った人たちがいたのでしょう

まあそのかわり
一見独立国、、、しかし実際はアメリカの植民地
アメリカの言いなりしかできないし
アメリカのポチにはなったのでしょうが

北朝鮮になるよりマシだったでしょうね

平和も大事ですが
平和の上に繁栄をもたらせてくれた

先人に感謝です





盆とんぼ


7月24日 月曜日

今日は曇っているので暑さもそれほどではなく
しのぎやすい日になりそうです

昨日仕事から帰ってきてひと眠りして玄関に行くと
盆とんぼが舞っていました

季節って不思議ですね

4月になれば桜が咲くし
盆に近くなれば蝉が鳴き、トンボが舞う

レイテでもこの時期になると盆トンボが舞っていましたが
ふと、、、レイテのことを思い出してしまいました

健太郎が赤ちゃんのとき、まだ小さかったとき
「こいつのためなら死ねる」
本気でそう思ってましたし

取れたての魚を毎日食べ、それを肴にトバを飲んで

人々は貧しいですが
あの青空、あの海、あの風があれば
それだけで十分なような気がしていました

あの場所に帰りたいけど

、、、帰れない

年金生活者だったらすぐに戻れるのですが

今の私は「暑い寒い」の日本で仕事の毎日

仕事のために寝るのを加えると
1日のほとんどが仕事

休日にも仕事をするために洗濯して
毎日が仕事のために回っているようなもので

昔、よく言われてましたが
俺は会社の歯車の1個

仕事をやめない限り永遠に回り続けるだけ

しかし日本人、歯車もイヤだけど
歯車をやめてしまうのも怖い
そして、、、それを止めることもできず毎日回っていくだけ

それをイヤイヤするのか
楽しみながらするかの違いだけで

基本的には

やらなくちゃいけないからするだけ

ただ、、、

どうせやるなら楽しく、おもしろく

しかし、、、

久しぶりに盆トンボなど見てると
なぜか?空しく、やるせない気持ちになってしまいます

これも日本人なんでしょうかね


息子の健太郎だとピノイの血が入っているし
生まれてからずっと在フィリピンですので、また違ってくるのでしょう

Skypeしていても

私が眠そうな顔をしていると

「PAPA SLEEPY?」

「うん SLEEPY 眠たい」

「う~~ん そうか~~」

日本人なら通常この場面なら

「そう じゃ おやすみ」 

「うん おやすみ」になるはずなんですが

こいつだとすかさず

「PAPA WAKE UP な!」

民族、環境が違うと、こうも違うものなのか
やっぱりこいつは日本で育てるべきだったのかも、、、

感性というものはその土地その土地のものがあるし
使う言葉によっても変わってくるのでしょうね

レイテも日本と同じようにこの時期盆トンボが舞うし

日本人の私はふと振り返り
なんとなく空しさを覚えましたが

自分の息子はまた違った顔を見せる

そんな1コマでした





相互扶助


7月18日 火曜日

博多祇園山笠も終わり夏本番
それにしても暑いですね

昨日、お寺さんから電話があり

「今年は初盆ですし8月11日に福岡市内を回ろうと思っていますが
 いかがされますか?」

「えっ?」

ぜんぜん考えてもいなかったし、
想定外の出来事にうろたえてしまいました

なにせ、仏壇もない家ですし
お坊さんとの接点は誰かが亡くなった時のお葬式の時間のみ
それも後姿を拝見するだけ

まったく縁のない人種の人

別にアフリカ人でもなくごく普通の日本人なのですけど

思い出してみると父母の里ではお盆にお坊さんが来て
お経を唱えていましたね

子どもの頃のわずか数年の記憶ですし
それ以降、記憶に残らない人となっていましたけど、、、

今こうしてみると

「そうなんだ、、、これがしきたりというものなのかも、、、」

妹にTEXTで問い合わせ

「11日だったら休みを振り替えれるけど」の返事をもらい
さっそく電話しました

「どうする?」

「せっかく案内をもらったことだし乗っからせてもらうのもいいんじゃない」

「そうな~~でもゼンゼンやり方知らないぞ」

「兄ちゃんのことだから、いつもの中央突破!ご本尊に聞けばわかるんじゃない?」

「まあな、、、オレのことだからそうするしかないし、そうやるだろうけど」

完全に見抜かれとりますな、、、

そういったことで来月11日初盆というものを初めて経験させてもらいます

いまだに仏壇もない家ですが







IMG_1413.jpg




とりあえずは、、、お飾りしていますし
下の段に見える風呂敷に包んだもの

母のお骨です

母の好きだった人形に囲まれて
下の段は花器ですが、、、ちょっと美術館風に並べて
品物は美術品には程遠いものですが、、、


そして、、、

ひとつは相互扶助

山笠、、、これって完全に相互扶助の世界なのですよね

櫛田神社を中心に協賛してくれる店
それにお返しをしていく人たち

お互い様で成り立っています

「あちらの店のほうが安い、、、」

そんなもの関係なし

「あの店は遠いしタクシ~じゃないといけませんよ」

タクシ~に乗っていけばいいじゃない

お互いにお互いの義理(義務)を果たす
それで成り立っているのでしょうね

もしそれがなかったら
ただ自分の利だけを追求し
安く、安く、安く、、、

自分の首を絞めるだけでなく、取引先の従業員の首まで絞めていく

今の世の中になってしまいますし

お寺さんも一緒ですね

私のところのお寺さんは町のところと違い
商売っ気はあまりないです

かといって何もなしじゃ続かないし

私の家は私限りで終わるかもしれませんが
お寺さんには続いていって欲しいですよね

私のことですからたいしたことは出来ませんが少しばかり

寄進じゃないのです

お坊さんはきちんとお経を唱えてくれますから、、、

相互扶助

お寺さん

何はなくとも続いていってくださいね


そういうことで、、、











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