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徳衛門

Author:徳衛門
ほんのひとり言

青い空と酒があれば
どこだって住めるさなどと
若者じゃあるまいし

しかし年は気にせず
姿かたちも忘れてしまい

世間様に恥と顰蹙を
撒き散らしながらも
生きてます

AquariumClock 2

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日本とフィリピン 往復おやじのひとりごと
フィリピンには愛しき妻子? 日本には世話のやける爺婆? こちらを立てればあちらが立たず? どちらに行っても肩身がせまい・・・ ハズですが・・・ 大きな顔してエンジョイしてます
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消えた年金


4月10日 火曜日

暖かな福岡です

以前から書こうと思っていた年金

若いころは
「年金なんて貰えるわけないじゃん」

そう広言していた私

私の生涯、、、お金にはあまり縁がなかったのですが
若いころはやはり、、、今より豊かだったのでしょう

気持ちの上だけかもしれませんが、、、


しかし、、、、

いつのまにか年金の該当年齢に近づくと

「貰えるものは、ぜひ貰わないと」に変化していきます

私は昭和30年生まれ
昭和29年生まれの人は一部ながら年金が61歳から支給されますし

「それって不公平じゃない?」

そう思っていても
年代が下がるにつけ条件が悪くなるこのご時世

「あなたはまだマシですよ」

そう返されるのが見えてますので黙っていましたが、、、

昨年末には
「よ~し、、、来年からは少額ながら年金が入ってくるぞ」

期待値も高まります

年金の申請受付は該当年齢になる誕生日の前日から

私は12月30日が誕生日ですから前日は12月29日
公官庁はすべて正月休み

「カアちゃん 何でこんな日に俺を産んだんだ」

そう言いたいところですが
じっと耐えて、、、正月が明けるのを待っていました

年明けすぐは混みあうだろうな、、、との予想はあったのですが

とりあえず、、、

必要な物や要領がわかりませんので
年金ダイヤルに電話してみます

しかし何回かけても繋がらないのです

翌日、また翌日電話しても同じ

「繋がらない電話なんてイミないやん」

しかし、、、

申請が遅れたとしても貰えなくなるわけではないでしょうが
こちらは目の前にニンジンをブラ下げた馬のごとく前しか見えません

ただひたすら、、、電話
繋がらなくとも、、、また電話

親の仇のように電話しまくります

しかし繋がりません

妹が年金ダイヤルのオペレ~タ~やっているのを思い出し

「お~~い 必要な物を教えてくれ
 それと年金事務所に予約入れといてくれよ」

「それは出来ないシステムになっているのでムリ
 電話は月曜日だけ5時以降でもできるのでその時集中してかけてみたら
 それ以外ではまず繋がらないから」

言われたようにただひたすら電話をして
タイムリミットの6時30分ギリギリに電話がつながりました

必要な物、、、

65歳までは一部だけですが
最初の申請時に65歳からの加給年金など一切合切やってしまうそうで、、、

そしてこれがカミさんは外国人
それも親子ともども在比ですから多いのです

何とか揃えて1月中旬の夜勤明けに年金事務所に行ってきました

眠いので目をこすりながら
しかし、お金のため、、、耐えるしかない

今の時点で会社を辞めたとして試算していきます
65歳からは月額175000円

ほ~~10万円ぐらいと思っていたけれど
やっぱり加給年金って大きいんですよね

62歳からは月額 59302円  

係官が書いていきますので
前に座っている私の方からは反対になりますが

「ま~~そんなものだろう」

書類も揃わなかったカミさんの無所得証明書も
月末に現地に行って取り、帰国後郵送すればOKに

自転車に乗って帰るとき

「あ~~何とか終わったね。バタバタしたけど、、、」

これで少ないながら私も年金をもらえる
少しだけでも貯金ができるし
すこし生活にもゆとりが出るだろう

家に帰り、シャワ~をし
勝利のビ~ルを飲み干して

年金の書類に目を通していると

「あれ、、、何これ?」

今年からもらえる年金の欄には

4941円  停止コ~ド 501

思わず、、、「おれ、、、何か悪いことをしたか~?」

数日後、仕事を終わって車を拭きながら
隣の人とちょうど年金の話になったのでそのことを話すと

2台隣の人が私のところにやってきて

「どうもおかしいな?と聞いていたら
 徳さんは去年9月に事故にあい、
 たまたまそのときの所得が下がったから、少し年金が出るようになっているだけです
 年金事務所は常に所得を管理できるシステムを持っているのでしょうね
 それも今年の3~5月の収入で見直しされて6月からは0になります 
 月収28万円以上は全額カットですから徳さんが貰えるはずないでしょ
 私も60歳から65歳までは1円も貰ってないです」

なんじゃ そんなことだったんか?

年金ダイヤルに必死に電話した私の努力は、いったい何だったのか?

年金さんよ
短い付き合いだったね

寂しいし哀しいけど

「少しの貯金」と「少しばかりのゆとりある生活」と一緒に

「サヨナラ」しなくちゃね

バイバイ、、、



思わず歌詞が泣けてきます

替え歌で「年金時代」


















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なごり雪


4月9日 月曜日

桜も散って今、藤の花が満開です
去年より少し季節の移り変わりが早いようですが
6日から突然の寒波
翌日には霙からとうとう雪までが降って

「なごり雪」にしてもちょっと遅いんじゃない?
もう4月7日なのに

数日前の初夏の陽気はどこに消えてしまったんだろう

そんなところで、、、

昨日、母の1周忌をしました

本当は6日なんですが
しがないタクシ~の運転手

「金曜日はちょっとマズイのよね」

それで日曜日に

1周忌といっても私と妹の2人だけ

花を飾って果物、お菓子、好きだったものをお供えして
それから父のところへ夕食を食べさせに行って

父は喜んでいましたね
2人揃っていくと嬉しさもまた違うようで

このところ足も弱り歩けなかったのですが
昨日は調子も良くなったらしく
少し前には声も出ていなかったのですが
最初は希声だったのが段々と言葉になってきて

「徳さん」

お~~1か月ぶりに私の名前を思い出したバイね

戻ってきて妹と少しお酒を飲んで話して

妹が帰っていくとき

「今日は本当に良い日だったね。来てよかった」

あまりたいしたことは出来ませんが
ささやかながら良い時間を持てた

それだけでも充分ですし
これも母が作ってくれたもの

母が亡くなって1年たちますが
まだまだ存在感たっぷり

この家は母の家
そこに住まわせてもらって生活していますし

私がフィリピンに行くまで
一緒に過ごしていきましょう



もうずっと曲を張り付けてなかったのですが
突然のなごり雪も舞っていましたし

替え歌ですが
若いころのようにセンチじゃない自分がいて、、、

約2名のためにも、自分のためにも
笑って今日も働きましょう

それでは、、、

なごり寿司












初めての「立ち眩み」


4月4日 水曜日

昨日から初夏の陽気の福岡です

明後日は母の1周忌

梅の剪定したり雑草取りをしたり
私なりの準備をしていました

ところが、、、

脚立に上って顔を上向けて枝を切っていると
「立ち眩み」が
少しして収まったので
またやっていると、、、もう1回きました

今まで立ち眩みなど経験がないので
正直言って「怖い」ですね

2日前だったか?
後ろに乗っている若い男女の声がうるさいほどに大きく感じたのです

実は私、数年前に軽い脳梗塞を起こしたのか
左耳が聞こえづらくなっていて
今までタクシ~に乗っていてうるさいと感じたことはなかったのですが、、、

あわてて医者から言われた通り
口を動かしシビレはないか?
左右の手足に異常はないか?

とりあえずは、、、大丈夫、、、と思ったのですが
やっぱり体に異変が起きているのでしょうかね

母方の祖母と伯父が60歳少し超えたあたりで脳梗塞で半身麻痺に
母はふたりが亡くなった67歳で同じく麻痺してしまいました

あと5年は働かなくちゃいけないし
今、倒れるわけにはいかないんですが
目に見えないから怖いですよね

今日は年金のことでも書こうかなと思っていたのですが
身体の異変の方がショックで

意外と、、、

誰でもそんなことはあるのかもしれません

ただ、、、人に言わないだけで

もっとも人に言ったところでどうにかなるものでもないし
皆さん黙々と働いてあるのかもしれないですね


そんなところで
忘備録がてら書いてみました



こどもの成長


3月26日 月曜日

穏やかに晴れて、、、桜も咲いた福岡です

やっぱり春はいいですね

私が働いている時間はまだ冷えますけど、、、


さて、、、

1月28日から2月5日にフィリピンに行ったことは書きましたが
息子のケンはもう12歳

毎日のようにカミさんと口喧嘩みたいで、、、

私はカミさんに「少し距離を置け」
そう言っているのですが
ピノイのカミさんはそれがわからない

やっぱり世界観が違うのでしょうね

親子なのになぜ少し距離を置かなくちゃいけないのか?

そうは言っても
相手も少しずつ大人に成長していくのだし
大人になってしまえば少しゆとりも出てきて
それなりに話もできるのだけど

今はその過程の最中だし

相手もいっぱいいっぱい
背伸びして、つま先立ち状態の連続時に
あまりにいろいろ言われ過ぎると反発もするだろうし

しかしピノイの家族の関係は濃密だし
私もそれが好きでもあるのですが

ただ、息子は日本人の血が入っているし
カミさんが見てきたピノイの子とは少し違う部分もある

そこは認めてほしいところですが
自分が産んで、赤ちゃんの時から二人っきりで暮らしてきたのですから
やっぱりですね

母親の言うことは何でも聞く良い子
それがいくつになっても、、、

それはそれでよいことなんですが

ピノイによくいる
いくつになっても大人になれない男たち

それでは困るし

私は日本人ですから
ゼッタイに息子にはそうなって欲しくはないし

なかなか難しいところでもあるのですが

そして、それを伝えきれない私がいる
ここが問題なんですよね

ましてや私は日本でタクシ~の運転手
それも夜勤専門
人間の生活じゃない日々が続いています

カミさんは「昼勤に変わって」

そっちの方が明るいし視野も広がって
危険は少ないし
人間の暮らしにはなれるのですが

なぜそんな危険な夜に働いているか?

そこはピノイ思考で、、、飛んで行っちゃうのです

まあ、そこのお気楽思考がピノイの1番の魅力ではあるのですけど



話は変わって

滞在中、息子は夜遅く勉強が終わると

「ぱぱ チェス」

「もう遅いから3局だけだぞ」

しかし、、、

始まって5分もたたず「チェックメイト」

「あらら~~なんやこれ」

次は3分経たずに「チェックメイト」

3局目は3手目か4手目
時間にすると1分少々で「チェックメイト」

タブレットのチェスゲ~ムをやっているのと
以前、渡比したとき買ってやった詰将棋の手引き本のチェス版
けっこうな厚さのモノですが
これで日夜研究しているのでしょうが、、、

最初は少し警戒してましたが
相手が弱いとわかると一気に攻めてきますし
3局目は1発で終了させるべく仕組んでおったのですね

「くそ~~図に乗りおって」

そう思うのですが

しかし、、、親の身元はバレバレ

気分を変えて
ケンお前は出来ないだろうと
立ってギタ~を弾きながら歌を歌うと

ヤツめ私が歌い終わるとすぐにギタ~を手に取り
弾きながら歌いだします

ギタ~もだいぶうまくなってますし

ヤツめチェスだけじゃなくギタ~にもかなり時間を割いておるな、、、

「そんな暇があったら勉強せい」

そう言いたいところですが
私の子だし、、、

なんたって
数学でも私がル~トに弱いことを一瞬にして見破られ

情けないやら、哀しいやら

もうシミジミ、、、
見栄を張れる時代じゃないんだなと

悲しいような、嬉しいような

こいつはこいつなりに成長しているのだな
ちょっと前まで甘えん坊の子どもだったのに

今、本当は父親が側にいて
伝えることをしなくちゃいけない時代なのかも

きっとそうなんでしょうが
それが出来ない

昔の人のように
「親はなくても子は育つ」

ピノイのようにお気楽思考で済ませればよいのですが

親の欲目が出て
もどかしい気持ちになります

そうやって親も成長していくのでしょうが
私は62歳

成長という言葉を使うにはちょっと恥ずかしい年になってしまいました



日ごろは忙しすぎて、思うことがあってもすぐ忘却の彼方へ
その繰り返しですが

たまには書いてみる

それも良いことなのかもしれませんね



そんなところで、、、







ボケてきたのか、、、?



3月22日 木曜日

もうお彼岸みたいですね

しかし福岡は雨で寒く
早く暖かくならないかな、、、などとつぶやく日が続いています

今、久しぶりにブログ画面を開くと

前回が12月31日

もう3ヶ月近くたったんだ

月日の流れが早すぎて、、、

付いていけないというか
歩調がまるで合ってない

だいたい、、、最初の1歩を出してないのですから
合うわけもないですけど、、、

かといって、、、

今更「新年明けましておめでとうございます」などとは言えないし

考えてみたら、私も62歳
昔だったら定年して7年、ちょっと前でも2年
天気の良い日は、縁側で日向ぼっこしている世代でしょうし

それが昔よりチョ~忙しく、世知辛い世の中に
13年も仕事もせず母の介護半分、フィリピンに半分だった自分が
突然、飛び込んでいるのですから

こっちに夢中の間はあっちはまるでヌケている

まるでピノイ状態というより
ボケ老人そのまま、、、


去年の10月か11月頃だったか
近所の老人ホ~ムにいる父親を訪ねた時

「徳さん、、、お母さんが『お父さんはどうしようね』と聞きよらんか?」

「あなたの奥さんは4月に亡くなったでしょう」とも言えず
「う~~ん そうね、、、」と言葉を濁してしまいましたが

今、考えてみると、、、

私より父の方がほんの僅かに期間が長いだけで
そう大差ないような気が、、、しますね


もうずいぶん遠くなりましたが
1月28日~2月5日までカミさんとケンがいるラスピニャスに行き

「やっぱり暖かいところがいいな」

私のことですから忙しい毎日でしたが
帰る前日は

「このままここに居たい、日本に帰りたくないな」

心底そう思いましたし

息子は今月小学校を卒業

カミさんが「中学校はどうする?」
「そうね。ケンは今の学校に馴染んでいるだろうが環境を変えた方がいいだろう」

書くことはそれなりにあるのですが

記憶は飛んでいき
いつのまにか月日は過ぎ去っていく

これはボケ防止に何か書いた方がいいな

いや 書くべきだ

このままだと父親のようになってしまう

そう感じた今日でした









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