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プロフィール |
Author:徳衛門
ほんのひとり言
青い空と酒があれば どこだって住めるさなどと 若者じゃあるまいし
しかし年は気にせず 姿かたちも忘れてしまい
世間様に恥と顰蹙を 撒き散らしながらも 生きてます
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日本とフィリピン 往復おやじのひとりごと フィリピンには愛しき妻子? 日本には世話のやける爺婆? こちらを立てればあちらが立たず? どちらに行っても肩身がせまい・・・ ハズですが・・・ 大きな顔してエンジョイしてます |
頭山満翁について、、、ちょびっとだけ、、、 |
中国は以前からでしたが 韓国が派手に騒ぐものでまた脱亜論が出てきてますね
「こんな連中と付き合っていてもロクなことはない」
そんなイメ~ジでしょうか
しかし、明治に開国して以来
白人諸国と手を結ぶのか? それともこの近隣アジア諸国と手を結ぶのか?
まるで振り子のようにブレてますよね
そして日本人
「やるときはやる」といった感じで、、、
一気に一方向にむけて怒涛のごとく、、、いっちゃいますよね
まあ江戸時代鎖国してましたし 中国は道徳の国、道義の国
本の中だけの世界しか知りませんし
明治になって現地に行ってみると 朝鮮も中国も
目を覆うばかりの世界、、、
まあフィリピンに例えて言うなら
ジャパユキさん全盛の頃 綺麗でスタイルが良く、悩ましいほどの女性が
「正直な父と優しい母 生まれた時から私を可愛がってくれた兄たち いつも面倒を見てくれた姉 私のことをとても愛してくれている弟や妹たち
ただ、、、いつもお金には苦労しているみたい」
あなたの家族は私にとっても家族 その窮状を救うのは私しかいない
勢い込んで現地に行ってみれば
トンドの最貧困地区
仕事もせず、いつも昼間から酒を飲んでいる父
たしかに、自分に正直ですね
かたや母親は、毎日朝から晩までギャンブルにつぎ込んで
負け続けても怒りも苛立ちもせず、、、人にも自分にも優しい性格
兄たちは 長男は殺人、次男は強盗で刑務所の中
姉は面倒見がよいせいか? 5人の子供の父親は全部違っている
愛してくれる弟妹たちは 愛しているせいか
いつも「1ペソくれ」
そればかり、、、
全員、前歯は正面の上下2本づつ抜け落ちて、両端まで真っ黒
「は、はなしがゼンゼン違うやんか、、、」
あまりのショックに
それ以降は続かず、、、、
明治の開国以来、日本のおじちゃんたちは
外国に胸をふくらませて降り立つも アジアの理想と現実のあまりのギャップに
その場に立ちつくすだけ、、、
けっこう多かったのでしょうね
かたや
グロ~バル化というか、、、
所詮、白人国家は地理的に遠いし なんにしても違いが大きすぎる
問題はあっても「清濁併せ呑めば」 解決できない問題なんてない
やはり近所づきあいを大切にし、優先するべきだ
戦前は大アジア主義とかいってましたが、、、
どちらも一理ありますよね
ただ、アングロサクソンの国もあくどいですが 中国、オチン○ンの先っぽの国もこれまた難しすぎて
結果として日本はいつもブレている
日本としても 諸外国にしても迷惑な話でしょうが、、、
そこで、大アジア主義の巨頭
右翼の巨頭とも呼ばれている頭山満翁
名前だけは知ってますが 実はあまり知らないのですよね
福岡ですので 子供の頃は頭山翁を直接知っている人も多かったのですが こちらが子供すぎて、、、
近所の人たち皆さん「フクニチ新聞」
経営者は頭山翁の息子さん
後の福岡市長は進藤一馬 玄洋社出身でしたが、、、
若かりし頃は左翼全盛
ただ箇条書きのようなことを言う人ばかり、、、
箇条書きで済むくらいの人なら 30代のころから「翁」を付けて呼ばないですよね
30代から「翁」をつけて呼ばれたのは 西郷隆盛とこの人だけらしいです
日本人ってそんなにアタマ悪くないし
左翼の人たち、一見アタマ良さそうに見えますが 本当のところは、そうでもないんじゃないか?
そんな印象を持ったものです
それで少しづつ本などを読んでいたのですが
その印象は、、、
この人、、、右翼の巨頭とか 右翼の源流とか言われてますが
「この人右翼か?」
左翼の源流 中江兆民とは生涯を通じての親友
甘粕大尉に惨殺された無政府主義者、大杉栄も援助しているし
日韓併合の道を開いたと言われるわりに 朝鮮独立党の金球均に援助し
満州事変に始まり中国侵略を推進させた黒幕と言われながら
東久邇宮はこの時の事を
「頭山翁は、衰運に乗じてその領土を盗むようなことが非常に嫌いで 朝鮮の併合も反対、満州事変も不賛成、日華事変に対しては、心から憤っていた」
日華事変の時は近衛首相が頭山を送り蒋介石と事変収束を企画するが 内大臣・湯浅倉平が反対で潰れ
泥沼化し日米関係も悪化していた昭和16年(1941年)9月 頭山は東久邇宮稔彦王から蒋介石との和平会談を試みるよう依頼される 頭山は、玄洋社社員で朝日新聞社員の緒方竹虎に蒋介石との連絡をとらせ 「頭山となら会ってもよい」との返事を受け取った
これを受けて東久邇宮が東條英機首相に飛行機の手配を依頼したところ 「勝手なことをしてもらっては困る」と拒絶され、会談は幻となった
ほんとうによくわからない人ですね
どれが実像なのか、、、
東條英機は私の子ども時代
「まじめなだけが取柄の田舎の村役場の課長さん」
そう呼ばれていましたが、、、、
なんとなく、、、イメ~ジぴったりですけど、、、
かといって、、、
右翼といえばヤクザと同じで
「ゼニ、ゼニ、銭がすべてじゃ~~~」
まあ何をするにしてもお金は必要でしょうし
しかし、、、
一九一三年(大正二年)三月十八日、孫文が玄洋社を訪れた 一九一一年(明治四十四年)十月十日、辛亥革命が起こり、中華民国が成立すると 孫文は三か月ほど、臨時大総統の地位に就く
かつての亡命革命家が前国家元首という栄光に包まれて福岡へもどってきた
ただ、孫文を迎えた玄洋社の扱いは驚くほど飾り気のないものだった
「素朴なる冷や畳の上、座布団なく、テーブルなく、きわめて簡素なる酒茶の饗ありしのみ」と 当時の新聞は伝えている
これに対し、「玄洋社式の飾らずつくろわざる待遇ぶりはかえって」孫文の悦に入ったらしく 「謹厚寡黙の孫氏も少なからず微笑をたたえ」ていたと言う
私はこういう何気ないエピソードに真実がかいま見えるような気がする
玄洋社のアジアへの関心は侵略的な志向の現れだとする見解が一方にある 筑豊の炭鉱家たちは長年にわたって資金を提供し 孫文の亡命生活や革命資金がそれによってまかなわれた
侵略的な意図があったのなら、恩を着せるのはこの時である しかし、玄洋社のメンバーは前国家元首をも昔の友人として変わりなく扱う
孫文もそれを喜んで受け入れたのだった
私のような人間だと このときばかりと豪華な中華料理を並べ立て 美酒を注ぎ、美女をはべらせ ご機嫌を伺いながら
鉄道とか鉱山をお譲りいただけるように、、、
接待、接待、、、、また接待
ですよね
こういったものは長年に渡り巨万の富を生み出しますし 欧米諸国、アメリカは未遂ですが、、、 これで稼いでいますし
しかしそれも望まなかった
不思議な人ですね
まあ西郷さんのような人なんでしょうが、、、
そこでこの人たちは今の日本人が言うように本当に悪役なのか?
この人の思想 この人の進む道を日本がたどって行っていたら
今の日本の問題はほとんどなかったような気がするのですが、、、
さて今、もし頭山翁が生きていれば 今の中国、韓国に対してどのように考えどのように対処するのか
そんなことを言っても仕方ないのですが
興味がわいてきますね
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