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プロフィール |
Author:徳衛門
ほんのひとり言
青い空と酒があれば どこだって住めるさなどと 若者じゃあるまいし
しかし年は気にせず 姿かたちも忘れてしまい
世間様に恥と顰蹙を 撒き散らしながらも 生きてます
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日本とフィリピン 往復おやじのひとりごと フィリピンには愛しき妻子? 日本には世話のやける爺婆? こちらを立てればあちらが立たず? どちらに行っても肩身がせまい・・・ ハズですが・・・ 大きな顔してエンジョイしてます |
過剰人口 |
9月13日 土曜日
今日も朝から秋晴れ 気持ちの良い風が部屋に吹き込んでいます
ハイカイオジさんからコメントをいただき 少子化の話は昨日で終了のつもりでしたが 今日は過剰人口のことを書いてみようと思います
私は恥ずかしながら26から28歳までバイクで日本中旅していました
北海道がメインでしたが期間が期間でしたので 東北から中国地方まで時間をかけて見て回ることが出来たのですけど
山の中によく開拓村の跡地があったのです
よくぞここまで入っていったなという気持ちで なにか哀しいというか、寂しいというか
もちろん明治時代の開拓村もありましたが 本当に僻地、山の中のはほとんど前の戦争での引揚者の村でした
私の場合、道は整備されてバイクですから行けますが その当時の人たちは歩いて、、、
そんな引揚者の村が日本中の山に無数といっていいほど
そのなかで、とても1日ではたどり着けず 駅から歩いて農家で泊まらせてもらって 翌日も歩いて明治の開拓者の家で1泊 翌々日も歩いてやっとたどり着く、、、そんな村もあり
私が行ったときはほとんど廃屋ばかりでしたけど 引揚者、身体だけしかない人たちですからもちろん貧しく 努力すれども大変な暮らしだったでしょうね
元々引揚者、、、 その人たちの地元では生活が苦しいから外地に行ったはずですし そして日本が戦争に負け、地元にも帰れず 信じられないようなところで開拓し これからの暮らしを作っていかなくちゃいけない
がんばって、がんばって 我慢して我慢して
その結果の廃屋、、、
無数にあった開拓地跡を見てため息しか出てきませんでしたね
戦前、政府が余剰人口を外地に出し 敗戦でその人たちが戻ってきたのですから 政府はもちろん金はなし、そうするしかなかったのでしょうけれど
あまりの惨状に気持ちが沈みがち 酒を飲むしかないな、、、そんな気分でしたね
もちろんなかには成功した人たちもいます 不毛の地ですから次々と離農していく人たちからタダ同然で土地を買い 土地を広げて収益が出るようになった人たちとか
長野や群馬のレタス、キャベツ農家とか酪農とか すぐ横の山がスキ~場になったりとかで
しかし廃屋の人たちからすればごく僅かな人たちだろうと思うのです
日本が高度成長しなかったら この人たちってどうなったんだろう、、、と
たぶん今でもレイテやサマ~ルの山の人たちと 同じような暮らしではなかったかと、、、
フィリピンは暖かいからまだいいですけど 日本の山は寒いですし、冬は雪で動けないですし
そう考えると、日本人って偉大ですね
アメリカの援助はあったにせよ 高度成長を成功させ余剰人口を吸収し、なおかつ今の暮らしに持っていった
今、少子化が問題になっていますが 日本人はきっとやり遂げると思います
もちろん大変でしょうが、、、
敗戦から今まで、結果だけを見ると大成功ですが その過程の中では惨状もいっぱいありましたし
何もなしで成功したわけではないですよね
それと同じように いろんなことはあってもなんとかやっていき 最後にはやり遂げてしまうのではないかと
そう思っています
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