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プロフィール |
Author:徳衛門
ほんのひとり言
青い空と酒があれば どこだって住めるさなどと 若者じゃあるまいし
しかし年は気にせず 姿かたちも忘れてしまい
世間様に恥と顰蹙を 撒き散らしながらも 生きてます
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日本とフィリピン 往復おやじのひとりごと フィリピンには愛しき妻子? 日本には世話のやける爺婆? こちらを立てればあちらが立たず? どちらに行っても肩身がせまい・・・ ハズですが・・・ 大きな顔してエンジョイしてます |
先人に感謝です |
8月16日 水曜日
曇りですが雲の切れ間から日が差すと 「あぢ~~」と声が出てきます
さて、、、
初盆も終戦記念日も昨日で終わり 今日からはまたごく普通の日になりました
、、、、とはいってもほとんど毎日仕事していますから あんまり変わり映えはしない日々なのですけどね
昨日休みだったので父のところに行き 晩御飯を食べさせていると テレビで72年目の終戦記念日と言っていました
「あ~~もう72年も経ったんだ」
ふと、、、そう思ったのですが
考えてみれば昭和30年生まれの私が年末には62歳になるし 昭和20年だとピッタリカンカン72年ですよね
は~~終戦の日も遠くなったけど 昭和30年も遠くなったものだね
私が子どもの頃は戦争というものがまだ身近にありました まわりの大人たちは皆さん戦争体験者だったですし
しばらくすると「戦争を知らない子供たち」の世代になっていき 今では戦争を知っている人は僅かほんのひと握り 誰も知らないと言ってもいいくらいになってしまいました
しかしそれでいいのですよね 時の流れは誰も止められないし 知らないといえばそれが起こらなかった証拠ですから
良いところも悪いところもあるでしょうが アメリカの核の傘の中に入り 悲惨な戦争を見ることも体験することもなしに72年間過ごしてこれた
これだけでも幸せなことですし それからの繁栄 豊かさを誰しも程度の差はあれ味わえた 私たちは幸せな世代だったのでしょう
北朝鮮なんて朝鮮戦争後は戦争は起こらず平和は保たれましたが 繁栄には程遠く
金正日が 「国民全員に米を食べさせたい」 このレベルですから
終戦間際ポツダム宣言受諾の際、1番モメたのは このまま戦争を終わらせると日本に共産革命が起こり 天皇は倒され、国体は崩御する
共産革命を恐れていたのでしょうが
私のような天邪鬼はすぐヨコに考えてしまうのです
なぜそんなに恐れたのか? それは逆に言うと 日本のインテリというかエリ~ト層は共産主義を信じていたのでしょうね
トップクラスは別かもしれませんが 実際に実務をやっている人たち 地位はそれなりにあっても軍人役人に問わずしょせん給料ですし
日本が結束している間はこれほどのモノでも何とか防ぐことができるが 戦争に負け空白期間ができるとたちまち席巻されてしまう
それは憧れの裏返しのようなものかもしれません
戦後、インテリを先頭にサヨク全盛になったのも 今はエリ~ト層に属していてもいずれ共産革命が起これば奴隷になる それならば先に共産社会の管理職への道を目指した方が賢い生き方だ 奴隷にならずに済む
同じようなものですよね
ほんの一部の人がこの思想に共鳴していただけでなく かなりの人が心の中で信じていたのでしょう
だから怖かった
日本の中で雪崩を打つ可能性があったから、、、
しかし日本はそうはならなかった
アタマが良いというより 努力して学校の成績だけが良いインテリたちよりも 先を見通す力を持った賢明な人たちがいて それに賛同する人たちが多かった
底の浅いインテリたちが目指した道のその行く先は 少し前の中国や東欧、そして今でも続いている北朝鮮
日本でもこの底の浅い連中が跋扈したおかげで戦争への道を突き進み やがて破局
しかし国のすべてを失っても これ以上の地獄に落とさせないと 底の浅い連中を食い止め 増殖させずに日本人を守った人たちがいたのでしょう
まあそのかわり 一見独立国、、、しかし実際はアメリカの植民地 アメリカの言いなりしかできないし アメリカのポチにはなったのでしょうが
北朝鮮になるよりマシだったでしょうね
平和も大事ですが 平和の上に繁栄をもたらせてくれた
先人に感謝です
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