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徳衛門

Author:徳衛門
ほんのひとり言

青い空と酒があれば
どこだって住めるさなどと
若者じゃあるまいし

しかし年は気にせず
姿かたちも忘れてしまい

世間様に恥と顰蹙を
撒き散らしながらも
生きてます

AquariumClock 2

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日本とフィリピン 往復おやじのひとりごと
フィリピンには愛しき妻子? 日本には世話のやける爺婆? こちらを立てればあちらが立たず? どちらに行っても肩身がせまい・・・ ハズですが・・・ 大きな顔してエンジョイしてます
こどもの成長


3月26日 月曜日

穏やかに晴れて、、、桜も咲いた福岡です

やっぱり春はいいですね

私が働いている時間はまだ冷えますけど、、、


さて、、、

1月28日から2月5日にフィリピンに行ったことは書きましたが
息子のケンはもう12歳

毎日のようにカミさんと口喧嘩みたいで、、、

私はカミさんに「少し距離を置け」
そう言っているのですが
ピノイのカミさんはそれがわからない

やっぱり世界観が違うのでしょうね

親子なのになぜ少し距離を置かなくちゃいけないのか?

そうは言っても
相手も少しずつ大人に成長していくのだし
大人になってしまえば少しゆとりも出てきて
それなりに話もできるのだけど

今はその過程の最中だし

相手もいっぱいいっぱい
背伸びして、つま先立ち状態の連続時に
あまりにいろいろ言われ過ぎると反発もするだろうし

しかしピノイの家族の関係は濃密だし
私もそれが好きでもあるのですが

ただ、息子は日本人の血が入っているし
カミさんが見てきたピノイの子とは少し違う部分もある

そこは認めてほしいところですが
自分が産んで、赤ちゃんの時から二人っきりで暮らしてきたのですから
やっぱりですね

母親の言うことは何でも聞く良い子
それがいくつになっても、、、

それはそれでよいことなんですが

ピノイによくいる
いくつになっても大人になれない男たち

それでは困るし

私は日本人ですから
ゼッタイに息子にはそうなって欲しくはないし

なかなか難しいところでもあるのですが

そして、それを伝えきれない私がいる
ここが問題なんですよね

ましてや私は日本でタクシ~の運転手
それも夜勤専門
人間の生活じゃない日々が続いています

カミさんは「昼勤に変わって」

そっちの方が明るいし視野も広がって
危険は少ないし
人間の暮らしにはなれるのですが

なぜそんな危険な夜に働いているか?

そこはピノイ思考で、、、飛んで行っちゃうのです

まあ、そこのお気楽思考がピノイの1番の魅力ではあるのですけど



話は変わって

滞在中、息子は夜遅く勉強が終わると

「ぱぱ チェス」

「もう遅いから3局だけだぞ」

しかし、、、

始まって5分もたたず「チェックメイト」

「あらら~~なんやこれ」

次は3分経たずに「チェックメイト」

3局目は3手目か4手目
時間にすると1分少々で「チェックメイト」

タブレットのチェスゲ~ムをやっているのと
以前、渡比したとき買ってやった詰将棋の手引き本のチェス版
けっこうな厚さのモノですが
これで日夜研究しているのでしょうが、、、

最初は少し警戒してましたが
相手が弱いとわかると一気に攻めてきますし
3局目は1発で終了させるべく仕組んでおったのですね

「くそ~~図に乗りおって」

そう思うのですが

しかし、、、親の身元はバレバレ

気分を変えて
ケンお前は出来ないだろうと
立ってギタ~を弾きながら歌を歌うと

ヤツめ私が歌い終わるとすぐにギタ~を手に取り
弾きながら歌いだします

ギタ~もだいぶうまくなってますし

ヤツめチェスだけじゃなくギタ~にもかなり時間を割いておるな、、、

「そんな暇があったら勉強せい」

そう言いたいところですが
私の子だし、、、

なんたって
数学でも私がル~トに弱いことを一瞬にして見破られ

情けないやら、哀しいやら

もうシミジミ、、、
見栄を張れる時代じゃないんだなと

悲しいような、嬉しいような

こいつはこいつなりに成長しているのだな
ちょっと前まで甘えん坊の子どもだったのに

今、本当は父親が側にいて
伝えることをしなくちゃいけない時代なのかも

きっとそうなんでしょうが
それが出来ない

昔の人のように
「親はなくても子は育つ」

ピノイのようにお気楽思考で済ませればよいのですが

親の欲目が出て
もどかしい気持ちになります

そうやって親も成長していくのでしょうが
私は62歳

成長という言葉を使うにはちょっと恥ずかしい年になってしまいました



日ごろは忙しすぎて、思うことがあってもすぐ忘却の彼方へ
その繰り返しですが

たまには書いてみる

それも良いことなのかもしれませんね



そんなところで、、、







ボケてきたのか、、、?



3月22日 木曜日

もうお彼岸みたいですね

しかし福岡は雨で寒く
早く暖かくならないかな、、、などとつぶやく日が続いています

今、久しぶりにブログ画面を開くと

前回が12月31日

もう3ヶ月近くたったんだ

月日の流れが早すぎて、、、

付いていけないというか
歩調がまるで合ってない

だいたい、、、最初の1歩を出してないのですから
合うわけもないですけど、、、

かといって、、、

今更「新年明けましておめでとうございます」などとは言えないし

考えてみたら、私も62歳
昔だったら定年して7年、ちょっと前でも2年
天気の良い日は、縁側で日向ぼっこしている世代でしょうし

それが昔よりチョ~忙しく、世知辛い世の中に
13年も仕事もせず母の介護半分、フィリピンに半分だった自分が
突然、飛び込んでいるのですから

こっちに夢中の間はあっちはまるでヌケている

まるでピノイ状態というより
ボケ老人そのまま、、、


去年の10月か11月頃だったか
近所の老人ホ~ムにいる父親を訪ねた時

「徳さん、、、お母さんが『お父さんはどうしようね』と聞きよらんか?」

「あなたの奥さんは4月に亡くなったでしょう」とも言えず
「う~~ん そうね、、、」と言葉を濁してしまいましたが

今、考えてみると、、、

私より父の方がほんの僅かに期間が長いだけで
そう大差ないような気が、、、しますね


もうずいぶん遠くなりましたが
1月28日~2月5日までカミさんとケンがいるラスピニャスに行き

「やっぱり暖かいところがいいな」

私のことですから忙しい毎日でしたが
帰る前日は

「このままここに居たい、日本に帰りたくないな」

心底そう思いましたし

息子は今月小学校を卒業

カミさんが「中学校はどうする?」
「そうね。ケンは今の学校に馴染んでいるだろうが環境を変えた方がいいだろう」

書くことはそれなりにあるのですが

記憶は飛んでいき
いつのまにか月日は過ぎ去っていく

これはボケ防止に何か書いた方がいいな

いや 書くべきだ

このままだと父親のようになってしまう

そう感じた今日でした







日々が経つのが早過ぎみたいな、、、


12月31日 日曜日

今日はもう大晦日

ついこの前
「明けましておめでとうございます」
そう言ったような気がするのですが、、、

年を取ると月日が流れるのが早すぎますね

「寒い寒い」と言ってたらすぐ桜が咲き
「暑い暑い」と言ってた夏が終わるとすぐクリスマスがやってきて

瞬く間に
まるで、、、トコロテンかこんにゃくのように押し出されていきます

「あらま~~もう明日から平成30年」

2018年が始まってしまう


昨日は私の62歳の誕生日

若いころは自分の年と今年が終わるので
感傷にふけるヒマもありましたが

この年になると、そんなもの感じる暇もなく

「どうにかして!」と言いたくなるほど
月日が飛び去っていきます

2,3日前だったか?乗務中にお客さんにその話をしたら

「それは毎日が楽しいからですよ
 ヒマを持て余したり、その仕事がイヤだったらゼッタイそんなことはありません
 私が見るところ
 あなたはこの仕事に向いているし
 良かったですね。自分に合う仕事をして毎日を過ごせるって」

私としては、、、

向いているとは思いませんが
まったく向いていないとも言えない程度なんですけど

以前にも数人から
同じように「楽しく過ごせて良いですね」
そんなこと言われたのです

私の顔って楽天的に見えるのでしょうか

それはそれなりに「イロイロ」あるのよ
そう言いたいところもあるのですが、、、

苦痛と苦闘の日々
1日が長く、1月が長く
やっとこの1年が終わった

そう思うことなく

まるで新幹線に乗っているように「あっ!」という間に1年が過ぎ去って
いくら何でも「アッサリ」し過ぎてない?
私の人生って、、、特に最近は、、、?

そう思える方が幸せなんですかね

よくわからないところです


なんとなく、、、

この前書いたニコ君の父親、たぶん私と同じ年だと思いますが

1月ほどの前の朝
起きてこないので見に行くともう心臓麻痺で死んでいた

超特急のように日々が過ぎ去っていくと
私も一緒に駆けのぼって

「逝ってしまった」

そんな気もするのですが、、、



ところで、、、

最近はそんな調子で書くことも少なくなってしまいましたが
この1年、私の駄文を読んでくださった方々

どうもありがとうございました

皆様にとって2018年が良い年でありますように

「来年もよろしくお願いします。
 良いお年をお迎えください」



トラブル続きです

11月4日 土曜日 晴れ

最近、体調も良くなく、調子も出ず
何とも言えない日々が続いています

実は、、、

9月20日になってすぐの12時過ぎ
交通事故にあってしまいました

相手は逃走車だったらしく
赤信号で突入し私のタクシ~後部に激突
そのまま走り去り、しばらくして犯人は車を置いて走って逃走
いまだに捕まっていません

それも事故が起こったのは福岡県警本部角の片側2車線の交差点

警察も、、、犯人は分かっているらしいのですが
誤認逮捕とかでマスコミに叩かれたりしていますので
証拠を集めている最中とか、、、

民主警察か何か知りませんが、、、かったるい話です

そして任意保険に入っているのか?自賠責のみなのか
それとも無保険車なのか?

それすら「捜査中」とかで教えてくれません

「たいがいにせいよね」
思わずこんな言葉が頭に浮かんできます

一度、東警察署に出頭しデタラメだらけの調書を読み
まあ警察ってこんなものかな?

担当の警察官が
「かなりデカイ事件になっていますのでもう一度来てもらえませんか?」

「嫌なこった!」と言いたいところですが
車の運転が仕事の私たち
警察に良く思われてないといろいろ面倒なことも起こるかもしれませんし、、、

そして東署って遠いのですよ
私が住んでいるのは南区
仕事先が城南区
車持ってないからバスと電車と地下鉄に乗って「えっちらおっちら」
事故が起こったのが博多区と東区の境界線
たぶん、、、道路の中心線で分けているのでしょうが
もし反対車線だと博多区で博多署なんでだいぶ近かったのですが、、、

思わず「カンベンしてよね~~」
そう言いたくなります

そんなとき
カミさんから携帯電話にメッセ~ジが入り
SKYPEを開くと

フィリピンにある私の車(エスティマエミ~ナ)が
使用していないのに長期間駐車してあり近隣住民からクレ~ムが入って
町内会みたいな組織から「至急移動して」との勧告文を持ってこられたそうで

「ありゃま~~」

カミさんじゃ運転できないし
車の処理もできないだろう

しばらく考えていると、、、

良いアイデアが浮かびました

もう車として売買できないので
町内会にスクラップ部品として処理してもらい
そのお金を寄付してしまえば私たちが手を汚さず
町内会もニッコリ

「これでいこう!」

なんぼかのお金をカミさんと息子に渡してやりたいのは
やまやまですが
それにこだわっていると前に進まなくなるし

それしか方法がない

近所のニコ君の父親が町内会の役員をしているし
車のことも詳しそうだから相談してみろ

これでうまくいくし難問解決

ところで、、、なぜ車として売買できないか?というと
3年ほど税金を納めていないのです

私たちが引っ越してくる原因となったヨランダ台風のとき
タクロバンのLTOが海水被害にあい書類もPCも全滅
私の車の記録が残っていないのです
それを復元するためにタクロバンに行き
フィリピンのことですから日数もかかるでしょうし
そして税金を納め車の塗装修理してからやっと売ることができる

私がフィリピンにいてレイテに住むのだったらいいですが
今ラスピニャスに家族は住んでいて
私は日本ですから
そんなことは出来ないのです

仕方ないよね

それで納得するしかない



しかし数日後、、、、
カミさんから書き込みが

カミさんと話してみると
ニコ君の父親は3台の車と大型バイクをもっていたが
日産サファリを廃車処理したとき
手に残ったのが「150000P」

「なかなか良い値段が付いたじゃない
 ウチの車でも2万Pぐらい、、、いやもっと値が付くかもしれない」

「チガウ チガウ」 「150P」

「は~~?」

日本にまで廃車部品を買いに来てコンテナで送っている連中がいる国で
150P?

なんじゃそりゃ~~?

もちろん仲介した人に謝礼を払った残りでしょうが
150Pとは

カミさん曰く
「あれで150Pならウチのは70Pかもね」

それじゃ寄付にならないやんか

フィリピンでは考えて考えて計画しても
足元から崩れ去ることが多いですが

今回もまた、、、

あ~~何か良い手を考えなくちゃいけませんが
もう時間もないし

良い考えを教えてくれる人もなし

困ったものです




フィリピンに行ってきました ②

部屋に戻り、疲れて眠いですが
ケンケンに公文を少しさせよう


そう思ってカミさんに声をかけますが

カミさん
「ケンケンに公文のブックレットを2日分持っていくように言っていたのに
 忘れてきている」

当たり前だろう
プ~ルに行くのに頭がいっぱいで
ハナから勉強しようとなんて思わないし
持ってくるハズもない

だから私はおまえさんに持ってくるように言ったのに

まあそれ以上言っても仕方ないので
全員すぐ爆睡しましたが、、、

翌朝6時起床
7時にはプ~ルに

ここは公営なのでチェックアウトは11時
15分までは許すがそれ以上過ぎるとペナルティ

まあ10時まで遊んでまわれば十分だろう

しかしケンケンは10時になろうとしても
「まだまだ」  「まだまだ」を繰り返します

「また来ればいいじゃないか」

それから彼はご機嫌ナナメでしたが

シャワ~をして荷物をもって国道に出ると2~3分でブエンディア行きのバスが来て乗り込み
バス料金を払うとすぐに爆睡
起きるともうマカティとパサイの境目
SLEXだと早いですね

バスを降りるとこれまた2~3分でSMサウス行きのバスがきて
飛び乗り30分ほどでベルダン
トライシケルで10分後には家に着きました

時間にして3時間弱
交通費も1人当たり往復で600p弱

これだと庶民のリゾ~トになれますね
バギオは遠いし高いですがここだと充分です

家に帰り、息子に公文をさせ私は爆睡

夕方起きると息子はまだ公文をしています
因数分解ですがやはり日本のやり方でしょう
最初はカンタンですがすぐに複雑になって
1ペ~ジの表裏 22問中7問、間違っていますし
4時間してもまだだいぶ残っています

こりゃ~いかんぞ

息子も最近サボリ気味

そりゃ~そうでしょう
1日6時間や8時間公文の算数やっていれば
遊びにも行けないし、ギタ~も弾けない
なんたって彼女とFacebookでやり取りできない

そりゃあ私の息子ですから問題集隠しても遊びに行きますよね

それからマッサ~ジに行くつもりでしたが中止して
11時まで様子を見ながらさせました

翌日はカミさんとマッサ~ジに行ってバクラ~ランで買い物でもするつもりでしたが
朝7時から息子に付きっきり

息子も最近サボッていますのでアタマも混乱して

それを一つ一つ説明して
問題を解いていきます

今は1冊8時間かかっても慣れれば6時間、4時間、3時間と早くなっていく

それにしても本人も大変なことになっているし
それを母親は全然理解していないし
私は日本ですからまったく何も知らないでいた

迂闊でしたね

夜の8時までかかってやっと3冊終わりました
英語の4冊は手付かずでしたが、、、

しかし私としてはこれでいいのではないかと思っています

私の子ですから勉強より遊んだほうが楽しいし
女の子も大事
そして女の子や野郎どもに受けるためにギタ~も上手になりたい

しかし私たちはフィリピンで何のコネもないしツテもない
すべて息子が努力していくしか道はないし
すべてナシ、0にせよとまでは言いませんが
限りある時間を勉強に費やしていくしか方法はありません

おまえが公文をさぼってGive upすれば
わたしもおまえさんをGive upしてレイテに帰す

そう言い渡していますし

本人もひたすら問題を解いていけば
遊ぶ時間は減少されていき
ひとりで勉強する習慣がついていくかもしれない

期待通りに物事は進んでいきませんが

何とかそのように持っていければ

そう思っています


それからラスピニャスの知人が我が家にやってきて
3時間弱談笑

カミさんも喜んでました


8月の稼ぎ時
こころの声を聴いたような気がして
欲をブチ切って行ったラスピニャス

やっぱり行って良かったです

ここで行かなかったら息子はすぐに押し流されていたでしょうし

結局ダメでも親としてできる限りのことはしてやりたい

今まで一度も口に出すことはありませんでしたが
今回初めてカミさんが10回くらい、息子が3回

「パパ日本に帰らないでくれ」

そう頼んできました

2人ともけっこう追い詰められていたのかもしれません

私もそうしたい

しかし私はフィリピンで二人を養っていくほどの甲斐性がありませんし
スキルもないしそれを伝えるツ~ルである英語フィリピン語も出来ません

申し訳ないけれど
日本でタクシ~の運転手してお金を作るしかない

ごめんね

しかし私としてできる限りのことはするから


今回も行って良かったです
行かなければ後悔するほど行って良かったです

ただ、、、最後のところで息子のことで手一杯

お土産も買ってないし手ぶらで日本に戻ってきました

今日から仕事ですが

何もなかったように
何もなかったかのように

サラリと時間を過ごして

やり過さなくちゃいけませんが、、、、