FC2カウンター

プロフィール

徳衛門

Author:徳衛門
ほんのひとり言

青い空と酒があれば
どこだって住めるさなどと
若者じゃあるまいし

しかし年は気にせず
姿かたちも忘れてしまい

世間様に恥と顰蹙を
撒き散らしながらも
生きてます

AquariumClock 2

最新記事

最新コメント

CalendArchive

月別アーカイブ

全記事表示リンク

全ての記事を表示する

カテゴリ

最新トラックバック

QRコード

QRコード

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

日本とフィリピン 往復おやじのひとりごと
フィリピンには愛しき妻子? 日本には世話のやける爺婆? こちらを立てればあちらが立たず? どちらに行っても肩身がせまい・・・ ハズですが・・・ 大きな顔してエンジョイしてます
最近、、、いろいろ考えることが出てきました


6月19日 月曜日

一昨日も昨日も今日も晴れ

日中はそよ風が吹き、夜になると冷え込む
福岡が避暑地になったようでいいのですが
梅の木にアブラムシがまたつき始めました

普段だと、もしアブラムシが付いても1回殺虫剤を撒けばそれでOKなんですが
気候が違うとやっぱり虫たちの生態も違ってくるのでしょう

朝、気が付いてすぐに撒こうかと思いましたが
そろそろ小学生たちが通学する時間なのでヤメました

にっくきアブラムシ

次回まで、時間をやるけど
その間楽しんでおけ

この次は必ず皆殺しにしてやるから

さてさて

昨日は父の日

私は父のケアハウスにポロシャツを2枚持って参上
涙を浮かべて喜ぶ姿につい「ホロリ」として
晩御飯を食べさせてきました

帰ってきてからネットを開くと
約2名からFacebook と Skype にご挨拶状

息子から

YOU ARE MY BEST FRIEND
YOU ARE MY BEST TEACHER
YOU ARE MY FATHER

まあ私のようなこんな人間にでもなついてくれる子がいる

嬉しいことですが

この息子、、、親の願いもむなしく
やっぱり根っからのロ~カルピノイみたいで、、、

私が死んだあとアテに出来そうもないし

せめてカミさんが困らないように中古のタウンハウスでも買っておかないと

住む場所さえあれば、あとは生活費だけですみますし
レイテなら小さな家はあるのですが
メトロマニラだと家賃も高いし

パパは今年の年末には62歳になるんだぞ、、、

「しっかりしてくれよな我が息子どん」

そう言いたいところですが、、、



しかし今回の母の死で
今まで考えなかったことも考えるようになりました

今まで「死」というものは遠くにあって
いまいち「ピン」と来なかったのですが

急に身近なものになってしまい
「あらま~~」みたいなものです

私は50歳直前まで独身だったし

「私自身好きなように生きて、好きなようにしてきたし
 あたたたちも好きなように生きて好きなようにしたらいいさ」

なんて調子だったですから

甘かったですね

今回の母の死で
「残されたものがいるし、残された者もなかなか大変」

これがわかったし

「そのためにも、なるだけ負担を軽減しておかなくちゃいけない」

これもわかりました

そして母の死が仕事を始めてからちょうど2年ぐらいで

それまでは眠くても目をこすりながら車を走らせて
「稼ぎたい」その気持ちが強かったのです

どうせ働くならもっとお金が欲しい

これは誰でも一緒でしょうが
この年になると
小さなことにこだわらず1年でも長く働いた方が実質の収入が増える

そのためにはムリをしない

これが1番じゃないかと気持ちが変わりました

せっかく年をとっても体さえ大丈夫なら続けられる仕事を見つけたのだから


年金も70歳までもらわずにいると1.4倍になるそうで、、、

私なんて何も考えていない日本人の典型で

働ける間は働こう
年金は働けなくなってからもらえばいい
ならば「70歳までもらわず頑張って働くぞ」

そう単純に考えていたのですが
どっちが収入増になるのか?

妹のお陰で
加給年金も入れて計算した方が良い

知っているのと知らないのでは大きな差が出てくるから

これを知らされました

年金もよく調べなくちゃいけないですね

62歳でもらうのが良いのか?
65歳からがいいのか?
70歳まで待つのが良いのか?

残される者がいるということは
できるだけベストにしてやらなくちゃいけませんし

母の死があったからこそ
自分を見つめ直す機会ができたし
考えることも出てきた

母の死が無駄ではなかったようです


ありがとうね

お母しゃん





また、、、新たな問題が、、、



6月14日 水曜日

だいぶ前に梅雨入り宣言が出されたようですが
私の住んでいる福岡では雨もそう降らず天気が続いて
プランタ~のバラが枯れてしまいました

きれいな花が咲くので
もうそろそろ刺し木をして大量生産しようか?と裏庭に行って

「あらま~~」とビックリする始末

雨が降らないのも良し悪しですね

夜は気温18℃ぐらいで長袖を着ないと寒いくらい

前の日曜日、仕事をさっさと切り上げて帰り早く寝たせいか
爆睡、、、12時間も熟睡してしまいました

最近の記録11時間30分を塗り替える記録が出たほど毎日よく寝ています

それで今日は朝5時から起きて

雑草取り

雨が降っていないのであまり草が生えてないのですが
小さいながら花が咲いたり実を付け始めていますので
ここでやっておかないと雨が降り出し気温が上がると一気にきますので
思い切って今日することにしました


さて、、、

私、、、6月から夜専門に勤務シフトを変えました

ホントは好きじゃないんですよね夜勤って
だいたい夜仕事をして昼間は寝ているなんて人間の生活ではないし
休みが休んだ気がしないのです

例えば今回は昨日の火曜日が休みだったのですが
月曜の勤務で火曜日の朝帰ってきて寝ると午後から夕方
すぐ夜になりますし
お酒を飲んで寝て起きると水曜日の朝

もう今日の夕方から仕事ですし

「何これ?」という休みなんです

日勤だと夕方から夜帰ってきて寝ても翌日朝から休日
丸1日休みで何でもできますよね
買い物に行ったり、家のことをしたり、近くの山でも登れます

夜勤だとフリ~の時間は同じでも夜が休み
人間やっぱり夜は寝ますし
もし寝なくても何もすることがない

「こりゃ~イカンな」と思いつつも
仕方がないかな

やっていくしかないかな、、、

それにはやっぱり理由があります

お金、、、そう金!カネ!かね!ですよね

尽きるところはこれですね。やっぱり、、、

とはいっても、、、
私とフィリピンの約2名の生活費が足りないわけではないのです

「不幸は突然に背後から襲ってくる」

犯人は父親

まだ犯人ではないのですが、、、

母が亡くなり、寂しさと悲しみが少し収まったこの頃
新たな問題が発生してきまして

母は障害者だったので父の配偶者兼特別障害者控除があったのですが
その母が亡くなると
父は独身者になってしまっちゃったのです

完全にボケてしまった90歳のジイさんが独身者というのも何かヘンですが
日本の仕組みは情け容赦なく「独身者」

所得税住民税はハネ上がり
健康保険代もウソっ、、、というくらい
それに今までは介護保険料1割負担が倍の2割に

今までも年金だけでは少し足らず貯金を取り崩す生活だったのが
母の死で一気に怒涛のように押し寄せてきて

「これどうすると?」

預金もとうとう1000万円を切ったらしく
これからは一気に減っていくだろうな

父が死ぬのが先か?お金が尽きるのが先か?

以前母を介護しているときに同じ介護している人たちから

預金が2000万円だろうが5000万円あろうがたとえ1億円あろうが関係なし
生きていれば破産するまで使い切ります
日本の仕組みがそのようになっていますので、、、

そんなことを聞いて、ここにも書きましたが
それが現実に起こってきています

姉は老人ホ~ムのランクを下げて
預金の減りを少しでも長くしたい意向らしいですが

そんなことを言っても
本人がここは食事がおいしいし楽しいと言っているのだから、、、

それを無理やり移らせて「ここはイヤだ」と言い出されたときはどうする?
もうここには戻れないし
何とか次を見つけ出しても「ここもイヤだ」と言われたら?

人の命がわかるのなら対策も打てるのですが
それがわからないので打つ手がないのです

このままドロ船に乗っていくしかないな、、、と

仕方がないね。もし長生きしてお金が尽きたら家に連れて帰り
私が仕事をしながら面倒見るしかないかな?

「結局、南極そういったことになるかもしれない」

姉と妹にはまだ言ってませんが、、、

そうすると私が夜勤して朝と夕方面倒を見て昼間はデイサ~ビスにやって
その間に寝るしかないようになります

実際にお金が尽きるのはまだだいぶ先になりますが
私の性格ですから
いずれそうなるかもしれないのなら早めに慣れておいた方がいい

「人生、一寸先は闇」ならば貯金もあった方がいいし

しかし人生、、、一難去ってまた一難

人生を終えるというのは意外と大変なことなのかもしれませんね

まあ今までがラクし過ぎだったのかもしれませんが、、、

福岡のような地方都市でタクシ~の運転手やっていても
何とか生活していけるというのは
家族の約2名がフィリピンにいるので日本ほど生活費がかからないことと

私が日本にいても父の持ち家ですから家賃はいらない
ついでに、、、
昔から固定資産税、電気、水道、ガス、電話、ケ~ブルテレビ代は父の口座からの自動引き落とし

父が亡くなればそれが一気に押し寄せてきます
まあそれでも家賃を払うことを考えればタダみたいなものですが
今までの貯金分が消えていきそう

やっぱりがんばって働いて
今から備えておかなければ、、、

父の介護をしながらにでもなると
仕事も今ほどにはできないかもしれないし


なかなか私の人生

ラクなまま一生を送らせてはもらえませんね

今晩からまたシコシコと、、、

ボツボツながら働いていきます


健太郎よ

高校は公立のLas Pinas Science High Schoolに行ってくれよな






シミジミとわかったこと

5月30日 火曜日

昨日は昼間寝ていて「暑いな」と思っていたら29℃
今日明日は30℃になるとか、、、

もう日中は真夏ですね

5月24日が母の49日
やはり疲れていたのでしょうね
それから寝るは寝るは

普段だと夜勤で朝寝ても4時間ぐらいで目が覚め
午後からまた2時間寝る
そのパタ~ンだったのですが

8時に寝て4時まで途中で目を覚ますことなくグッスリ
昨日なんて起きると4時40分
休みの日には父のところに5時に行っていますので
髭と歯を磨いて慌てて戸締りもせず家を出る始末

ただこの数日の爆睡の連続で
起きても頭がしばらくの間痺れたような状態もなくなり
回復基調になってきました

ただ息子のケンケンは

「パパ 昨日また明日」と言っていたのに
約束は破るし、それから数日音信不通

、、、と少々おかんむり状態らしいですが、、、


ところで、、、

今回の母の死で、いろんなことを経験させられましたし
様々なことを考えさせられましたね

我が家は仏壇がない家なので
今まで人が死ぬ
仏になる、、、なんて全く経験がありませんし
考えたこともありませんでした

しかし、、、母が危篤になって10日余り
死というものが段々と近づいてくるのがわかるのです

89歳ですので寿命というのはわかりますが
仕事の途中病院に寄り、家に帰ってきても一人

4LDKの一戸建ての家に
本当にポツンとひとりだけなのです

ただ、寂しいというか哀しいというか

人間って家族が必要だし、これほど大事なものかも思い知らされました

カミさんは「そばについてあげたらいいのに」

ピノイならそれでいいかもしれないが
日本人の父親はどんな時でも働く
おばあちゃんが死にそうな時でも健太郎はお腹が減る
お金を稼がないとご飯を食べれないし

ピノイだと優しいから側についてやるだろう
ただそれが始まっても終わっても「ウ~タン」でしのぐ
それがピノイ社会だし
その優しさが貧乏の元でもあるのだけど
日本人はそんなとき「お金貸して」なんて絶対言えないし
言ってはいけないのだよ

カミさんが
「ごめんね。私が日本に居ればおばあちゃんの世話ができたし
 あなたをそんなに働かせなくても済んだのに」

「いやいや、おまえさんとケンケンがフィリピンに住むことを望んだのは私だから」

しかしこの2ヶ月、家族が日本にいてほしかったですね

家族がいれば母が亡くなる前も葬儀のときも遺品片付けの間も
あれほど辛くはなかったでしょうし

おまけにこんなに辛いことは二度と味わいたくないと
家のなか父の分まで片付けてしまいましたので
作業量が2倍

61歳になって
ひとりで仕事をしながらのことですから
シンドさも数倍に感じてしまいました

今、1日中夢の中にいる父もやがて逝くときが来るでしょうし

その次は私かな?

そう考えると、、、
もっと頑張って働かなくちゃ

息子はともかく
カミさんが私がいなくても困らないようにしてあげなくては

フィリピンに縁ができるまで
老後は「遊んで暮らす」のを夢見ていた私とすれば
フィリピンに縁ができ、家族を持たせてもらったのですが
人生が劇的に変わりました

ホントに「こんなハズでは、、、」ぐらいの変わりようです

49日の日に妹が来て話したのですが

それって幸せなことじゃない
身体さえ問題なかったらいつまでも続けられる仕事を見つけて
家族のために働けるって

ちなみに、、、うちの営業所の最高齢は今年76歳
隣の営業所では今年80歳の人が働いています

わたし今、年金ダイヤルの仕事しているんだけど
電話を受けた瞬間に、この人仕事をしているか?いないか?がすぐわかるよ
声のハリが違うから

、、、ということは生活も違うし、人生も違ってくるだろうね

私はゼッタイ働いた方がいいと思う

「遊んで暮らす」ということは夢であり望みでもあったのですが

もしかすると、、、
「働きながら暮らす」ということはもっと価値があることなのかもしれません

今回の母の死で

人間、生きているときも、死んだときも
そして死んだ後でもお金が要るもんだな

もちろん死んだ後では
誰かにお金を出してもらわなくちゃいけません

私は今の生活費+若干の貯蓄、、、なんて事しか考えていませんでしたが

「人間、死んだ後でもお金が要るのよね」

これをシミジミわからさせてもらいましたし

「こりゃ~~働かなくちゃ」

これもシミジミと、、、わからさせてもらいました





近況報告です



5月5日 金曜日

桜も終わり藤の花も終わり
ふと見上げれば
山は初夏というより夏の色合いと光を放っています

世間ではゴ~ルデンウイ~クの真っ最中ですね
この時を逃してはと、、、渡比されている方も多いでしょう

私も出来ることなら飛んでいきたいし
逆に3月末からケンケンが夏休みになりますし
約2名を日本に呼び日本の美しさ、良さを味わわせてあげたい
それを考えていたのですが、、、

3月の下旬から母が危篤状態になりました

去年母はまた脳梗塞を起こしたらしく
右手も動かなくなってしまい
そのときは生きていても仕方ないだろう

そう思ってましたが

いざその時が近づくと
いてもたってもいられず、、、

病院に行くのもツライけど
気になって行ってしまう

寝ていても携帯が鳴った!と飛び起きても着信履歴はなし

13年間介護した肉親の命の火が消えようとしている
過度のストレス状態が続いて睡眠不足のなか
4月6日に亡くなりました

私は私の性格から
きっと母が死んでも泣かないだろう

そう思ってましたが

担当の副院長に挨拶をするとき
涙が止まらず挨拶ができませんでした

亡くなるまでの2週間近く
病院の皆さんは本当によくして頂いたし

亡くなっても身体を拭いて着替えさせ
化粧までしてくれて

霊安室に運んでからも副院長をはじめ
たくさんの方々が代わる代わる線香を上げにきてもらい

車で葬儀場に運ぶ時も副院長と1番良くしてもらった看護師さんと
見送りに来てくれました

「お母さん、皆さんに良くしてもらって本当に良かったね」

薄暗くなってから葬儀場に着き
その晩は私と妹で夜伽

私は雨の中、自転車で母に供える花と食品果物
それと私たちの食品、酒、ビ~ルを買いに行き
ささやかだけど私なりに精一杯豪華に飾りました

妹がポツリと

「愛を感じるね。
1番大好きだった徳さんにこうしてもらってお母さんも喜んでいるよ」

本当は翌日が通夜
翌々日が葬儀なのですけど、ちょうどその日が仏滅
その翌日の日曜日もお坊さんがどうしても外せぬ用事があって
他に頼むも、他の天台宗のお坊さんは皆さん予約済みとのこと

母をこのまま置いといてもかわいそうだし
私のこと、、、いつもの発想で

それならお坊さんに頼んで翌日葬儀
その晩に家族だけの通夜をしよう

通常とは逆さまですがこの技で何とか乗り切り
かえってお坊さんにも喜ばれてしまいました

両親が35年前ほどその寺の納骨堂を買っているのですが
喜ばれているこのときを逃さず

「和尚さん勝手ですがお願いがあるのです
 母は父の里の人、誰も知らないですし
 知らない土地、知らない場所でひとりポツリと居させるのもかわいそうです
 父もそう長くはないと思いますし
 父が逝って49日過ぎたとき一緒に納骨させてもらうことは可能でしょうか?」

「それは構わないですよ
 そちらの方が両親も喜ばれるでしょう」

しきたりよりも本人が望むかどうか?

これで気になっていたことも一挙解決

翌日の午前中に火葬
もう骨がほとんど残ってない状態に驚きながらも

私がデイパックに母の骨壺を入れ、妹と2人で歩き
途中に母が好きだった園芸公園の桜を眺めながら

「お母さん 
 あなたの大好きだった桜も今がちょうど満開できれいです」

そうして家に着きました

私的には「これで終わった」
そんな気分だったのですが

写真や飾りつけが終わり
「ほっ」としていると

妹が一言

「49日までに遺品を片付けてしまわないといけないらしいよ」

「えっ、、、」

私なんて1度も人が死ぬことに立ち会ったことないし
すべては初めてのこと

それからが大変

衣類だけでもゴミ袋50袋ぐらいはありそうだし
着物まで捨てると100袋にはなるのではないか?と

ちょうど明日の日曜日が燃えないゴミの日
この際だから陶磁器も片付けてしまおう

しかし捨ててしまうのは悩むのですよね

すべて母が買ったもの
使うことないものでも盆前と正月前にはすべて洗って干して

母は夢を見ていたのでしょう

まだその頃は家族主義が生きていて
何をするにも家に呼んでふるまう時代でしたし

客用の布団、枕、シ~ツ、座布団から
グラス、湯呑、酒器、お茶碗、お吸い物椀に大皿小皿、大鉢小鉢
フィリピンと違って日本料理は品数が多いですからそのぶん器も多いし
そしてそれの かける6 かける12もありますし

将来 私が結婚して相手の両親が来られても大丈夫なように
妹の結納でも結婚した後でも恥ずかしくないように

良いものを少しづつ買い揃えていったのでしょう

そして私と妹がなかなか結婚しないものですがら
少しづつでも長年の月日になると、、、それは膨大な量になり

しかし必ずその日がやってくる
そのときのためにと、、、夢を見ていたのでしょう

私は49まで独身、そしてフィリピン人と結婚
妹はいまだに独身

報われませんでしたけど

しかし陶器を小さめの箱に入れていくと自然と涙が出てくるのですよね

忌引きの3日その次の日が公休日
月曜日から仕事をしだしても家に帰ってからは遺品片付け

健太郎はパパっ子ですから毎日朝昼晩スカイプで「papa」と呼び掛けてきてますが

「I´m sorry  I´m sleepy」 こればっかり

カミさんは「ごめんね」

いや~日本人じゃなくフィリピン人と結婚して
おまえさんがフィリピンに住むことを望んだのは私だから

そんな調子ですから仕事もおろそかになり
月末が近づいても売り上げが上がらず
おまけに駐車違反で捕まるは、、、

初めての足切りになるか?

なんとか30日でそれはクリア~しましたが、、、


それでも片付けはなかなか進まず
業を煮やして妹に電話

「こんなことでは終わらない
 姉さんに着物を引き出しごと全部持っていき
 自分の家で整理して傷んでないものは残し
 要らないもの傷んでいるもの処分してくれ」

金曜日に家に来て着物専用の桐箪笥とともに自分の家に持って帰ったようです

これで49日、今月の24日までにはなんとか片付きそう

しかし24日は三隣亡
お葬式の予定日は仏滅だったし

仏教徒としては

「トコトンあんたってついてないね」

そう言いたいところですが
桜の最盛期に死ぬことができたし
毎年桜の時期には思い出してもらえますから
差し引きプラスだはないかと、、、

その日は私は公休日だし、妹も休みを取ったそうで
家族だけだしお坊さんも呼ばないからだからいいんじゃい

これでフィリピンでは

「ブディスト」なんて言ってますが
ほんとうに仏教徒といってよいのか?

まあ私のことですから、、、

今日はとりあえず片付くメドがついたし

ご報告がてらに書いてみました

こうやっていくうちに母との距離が自然と開いていき
母が亡くなったことも素直に受け取れるようになり
母が思い出の人となっていくのでしょう

きっとそれでいいのですよね

そして、、、

やっぱり家族といつも一緒にいたいですね

良いときも良くないときも、、、

それを実感したひと月あまりでした





「これでいいのか!?」 「これでいいんじゃない」


3月27日 月曜日

いつまでも寒い日が続きます

昨日、父のケアホ~ムの帰りに桜並木を歩いてきましたが
まだしっかりと芽のまま、、、冬の装いでした

しかし昨日は3月26日
例年だともう3分~7分咲きぐらいのハズ

遅れているとはいえ
いくらなんでも蕾ぐらいになっているとばかり思っていたら

真冬のまま

「なんじゃこれ~~」

そんなこと思ってましたが、考えてみると、、、
私が子どもの頃
桜って4月の花でしたよね

4月のアタマから咲きはじめ中旬ぐらいには終わる

ちょうど入学式ぐらいがピ~ク

そんなパタ~ンだった気がします

温暖化か何か知りませんが
入学式の頃には散ってしまっている
この頃の方が異常だったのかも?

多分これが正解なんだろう、、、などと、、、

しかし、、、年を取ると

早く暖かくなって欲しいですね



私がタクシ~に乗り始めたころ

待ち時間の間中
よくまあ~~皆さんあの狭苦しい車内にじっとしているな

ずらりと並んだ車の列を見て、それが信じられなかったし
私なんてじっとしているのが苦痛で外に出たがりましたが
そんな私でも今では車内にじっと座っています

車内が暖かいし涼しいし
1番快適なスペ~スになって
外に出るのが億劫にさえ感じてしまうようになりました

人間ってすぐ順応するし
すぐ怠惰になっていくもんなんですね

この調子だと

寝たきりにでも、、、すぐになってしまいそうな予感が、、、
若者になるよりこちらの方がはるかに近い年になってしまいましたし

「これでいいのか!?」

「これでいいんじゃない」


このあいだ、、、
定年まで事務の仕事をしていた人が言ってましたが

事故さえ起こさなければこれほどラクで
ソコソコの給料もらえる仕事は他にないでしょう
特に60代とかになって

30代、40代、50代の初めまでは子どもにお金がかかるし
この仕事では無理かもしれませんが
60代になると子育てはもう終わって生活費もそうかかりませんし

60代になると病気の一つぐらい誰でも持っていますし
若い時だと馬力で乗り切ってこれましたが
この年代になると調子が悪い時もあるものです

この仕事だったら病院にでもすぐ行けるし
遅く出てきても、早く帰っても、休むのも、自分で自由に決められる

それでいて月を通してソコソコ働けば
生活費+αぐらいの収入が得られる

私はこれ以上の仕事はないと思っています
天下りや特殊技能を持っている方、自分で事業されてある方たち以外でですが

ただ一つの欠点は
人になめられることですが

私が定年までいた会社とそこで事務をしていたこと
年よりなりの自由がきいて、今の年収を言えば
皆さんこの仕事を見直されますし納得されますよ

それなりの会社に勤めておられたのでしょうね

まあ私の場合、息子は11歳

子育てはまだまだ続きますし
その前に私の方がお陀仏になりそう

私が生きていようと死んでしまっても
約2名は生きている以上お金は必要だし

「これでいいのか!?」

「これでいいんじゃない」

人間ってすぐラクな方へ流されていきますが

私も男である以上
自分への問いかけはしています


以前働いていたブラック企業のときは
口座がすぐに1000万円を超えて株を買ったりしても
また超えてしまいまた何かに移す
これを繰り前していましたが

今の給料振り込みの口座の残高はあまり増えず
微々たるもの


「これでいいのか!?」

若いころはショ~トホ~プ

「太く、短く」



今では

「これでいいんじゃない」

「細くて十分」

何も文句は言いません

その分「少しでも長く」 お願いします

これもいいかな、、、と


「これでいいのか!?」

私の性格ですから「ガ~~!!」と行きたい気分と

「これでいいんじゃない」

年よりなりの諦めというか
物事が分かってきたというか
ただムリが効かず怠惰になってきただけというか



この間、結婚式に出席される家族の家に2台口で行ったとき
もう1台のおじいちゃんと話をしていました

「私は年寄りですから」

「いえいえウチにも75歳で現役ドライバ~の人がいらっしゃいますよ」

「うちの那珂川営業所には75歳以上が4~5人いますよ
 まあ私は最高齢で79歳になりましたが、、、」

「え~~ そうだったんですか」

世の中、、、上には上がいますね

うちの最高齢でビックリしているどころではなかったです


ガ~~といって見栄を張るか
長く続ければカメと一緒で生涯収入が増えるのか

どちらが正解なのかわかりませんが

軸足が細く長くの方に傾いてきている気がする
今日この頃で

シミジミと

人間って変わるものなんだな、、、と感心している私がいます