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徳衛門

Author:徳衛門
ほんのひとり言

青い空と酒があれば
どこだって住めるさなどと
若者じゃあるまいし

しかし年は気にせず
姿かたちも忘れてしまい

世間様に恥と顰蹙を
撒き散らしながらも
生きてます

AquariumClock 2

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日本とフィリピン 往復おやじのひとりごと
フィリピンには愛しき妻子? 日本には世話のやける爺婆? こちらを立てればあちらが立たず? どちらに行っても肩身がせまい・・・ ハズですが・・・ 大きな顔してエンジョイしてます
久しぶりに本を読みました


7月8日 土曜日

ここ数日、梅雨らしいどんよりとした天気が続いています
朝倉や日田あたりでは集中豪雨が発生して大変みたいですが
私のところは少し雨が降るだけのいたって温和な梅雨です

それにしてもいつのまにか6月が終わり
7月に入ってしまいました

このあいだ「明けましておめでとう」だったのに
「あっ!」というまに今年も半分が終わったのですね

この会社に入り皆さんが

「あっ!という間の5年でした」
「あっ!という間の10年でした」

なんてことを言われますが

確かに、、、

時間が過ぎ去っていくのがチョ~早く

年を取るのはイヤですが
年金は早くもらいたいし

なかなか微妙なところです


さてさて、、、

昨晩は休みでしたので
珍しくというか、本を読みました

転進 瀬島龍三の「遺言」 新井喜美夫著

久しぶりに本でも読んでみようか?と
先月病院に行った帰りにブックオフに寄り
ちょっと目についたタイトルでしたので、、、

瀬島龍三さんってあまりよく言う人はいないし
私もあまり好きなタイプの人ではありません
でもちょっと気になる人ですよね

何を聞かれても寡黙を通し
黙秘権を行使しとるのかな?
それだけ話せないということは「悪いこと」いっぱいしとったのじゃろう

そんな連鎖反応で、、、

まずこの本で1番びっくりしたのが
新井さんが以前星野直樹さんから聞いた話

サイパン決戦の直前

東条 「海軍は誰がやるんだ」

星野 「閣下、南雲忠一中将です」

東条 「あの真珠湾攻撃を成功させた南雲か。それは心強い
    日本もまだしばらくは持つな」

それからすぐサイパン島は玉砕陥落

東条 「あの真珠湾攻撃を成功させた海軍の誇る機動部隊はどうした」

星野 「ミッドウエ~で壊滅してとうの昔にありません」

東条 「そうとわかっていたならフィリピンにこだわったり
     インパ~ル作戦などやらなかったのだが、、、」

これだけでも驚愕の話ですが

新井さんが瀬島龍三と話したときにこれを確認してみると
瀬島はこともなげに

「ええ、知らなかったでしょうね」とあっさり答えたと

そのとき東条は首相兼陸相 たぶん参謀総長もやっていたと、、、
国のトップであり戦争中の最高指導者

その人に何の情報も届いていない
その人が作戦を指示し、承認し、天皇に伝える

その作戦はことごとく失敗
戦死者230万人の約80%が最後の半年で死んでいますが
これじゃ死んだ人が浮かばれませんよね

戦後、たとえ負けたとしても事実を究明し
誰が何をやったのか?なぜそのようになったのか?
もちろんそれによって傷つく人が大量に出てきたとしても
やるべきだったですよね

それをうやむやにしてしまい
その当時からでしょうが今の官僚機構にも引き継がれていったのでしょう

日本人ですから都合の悪いことは隠す
そして守秘義務には厳格
組織の秘密を洩らせば明日はない

その日本人の悪いところがすべて出てしまった
陸海軍だったのでしょう

頭脳はそれなりに優秀だったのでしょうが
実際にやっていることは

「バカにつける薬はない」程度で、、、

軍人といっても軍官僚に過ぎませんし
その閉鎖された組織のなかで生きていくためには保身あるのみ
余計なことは言わない、相手に恨まれるようなことは口に出さない

しかしその保身のためにどれだけの人が無駄死にしたことか


瀬島龍三

質素で真面目で「軍人勅諭が歩いている」ような人だったらしいですし
軍人の誰に似ているかと問われれば

東条英機

日本の組織ってこういう人が上にあがっていくし
こういった人じゃないとあがっていけない

そんなものなのかもしれませんね

東北の震災のとき
1番悪いときに1番悪い組織が政権を取り
1番悪い人が首相であった

菅さんそんなことを言われてましたが

前の戦争の時も
これと同じようなことだったのかもしれません


あと1ヶ月もすると終戦記念日ですが

亡くなった方たちに

線香をいっぱい焚かなくちゃいけないな

そんな気持ちにならされた本でした






ネット通販の時代ですかね


6月29日 木曜日

数日前とは打って変わり毎日曇りか雨
梅雨らしいといえばそうなんですが

まあ暑くないのがいいですけど
来週から毎日30℃を超えてくるそうで
戦々恐々として、、、

こんな私がフィリピンにいたなんて
遠いことのように感じてしまいます

さて、、、

今、家族はラスピニャスに住んでいるのですが
レイテにいたころはyoutubeのビデオを日本でダウンロ~ドし
DVDやUSBチップに入れて向こうで再生していました

今でもフィリピンですから通信速度は早くないですが
数年前とは違いSkypeでいつでもテレビ電話で話すことができ
写真やビデオも自由に張り付けてすぐ見ることができます

ケンケンに「これいいだろう これが日本の音楽だ」

日本との距離が縮まり、便利になりましたね


便利になったといえば

先日、カミさんが洋服を2枚買ったらしく

「バクラ~ランに行ったのか?」

「No ネットストア~」

ワンピ~ス、、、フィリピンではドレスと言ってますが
洋服だけのを2枚
カミさんが着ている写真を2枚

スマホかタブレットで写し、早速貼り付けてきました

「1枚280ペソだけどね」

「支払いは?」

「銀行送金。ネット支払いは危ないらしいし」

「OKな」

いつのまにかフィリピンでもネット通販の時代になっているのですね
値段もバクラ~ラン価格と同じくらいか少し安いぐらい

そういえば私もフィリピンに縁ができだしたころから
ネットでPALかセブパシ、もしくはフィリピンの旅行会社のなかで1番安いのを探して買ってました

まあ航空券の場合は家でプリントするだけですのでカンタンですが
洋服となると配達が必要ですし
特にメトロマニラだとビレッジの次がまた別のビレッジ
公道があまりなくて私道の連続
家にたどり着くまでこれでもか?というくらい関所があって大変でしょうが
そんなところもいつのまにか解決して
あのガンコな人たちも時代の波には乗っているのでしょう

近い将来、ピノイもアマゾン漬けの人たちが溢れるようになるかも?ですね
中国人が強いからアリババかな?

そんな話をしているとき
ちょうどケンケンの通学用の黒靴がいるという話題になったので

「靴は通販はダメだぞ
 サイズだけではわからないものがあるし
 当たるとかフィット感とか、足は本当に微妙だから
 実際に店に行って履き比べてみないと」

「イエスサ~」

そんな私もネット通販を利用しています

母の線香も
フレ~ム、網戸、窓ガラス付きで窓枠にビス止めすればそく窓が完成する窓セットも
ネット通販ですし

玄関前に
「昼間は寝ていますので宅配便は玄関前に置いておいてください」

小さな紙にそう書いて押しピンで留めておくと
ちゃんと玄関前に置いてあり

「あれ~~もう来たんだ」

何でも早いのですよね

そして以前は
宅配便が来るたびにその紙が無くなっていましたが
今ではそのままにしてあります

考えてみると
以前だとお客の指示の証拠として配達票に止めていたのですが
今ではそれをスマホで写しておけばいいことですし

こんなところにも時代の波が、、、

お陰様で私も毎回書いてピン止めしなくても済みます

便利な世の中ですね


将来、私が仕事をリタイアしてフィリピンで暮らすようになるころは
何でもネット通販
近所のSMに行くのも面倒くさい
食料品だけを徒歩圏のピュアゴ~ルドに買いに行く

そんな時代になっているかもしれませんね




「甘い」 「アマイ」 「あまい」

6月23日 金曜日

一昨日久しぶりに雨が降りました
それから曇りが続き、朝晩は肌寒い福岡です

昨晩は仕事が休みだったので夜Skypeを開いてみると

朝8時に   papa
12時に    papa 泣き顔マ~クが3個
12時10分  papa 泣き顔マ~クが10個
12時18分  papa 泣き顔マ~クが32個

「おまえはどうしてそげんあるとや」と言いたいところですが

自分で仕事している私でさえ気が付かなかったのですから
ケンケンが 休み= 朝からフリ~ と思うのは仕方ないことですけど
現実には朝帰ってきて、目覚めたのは午後4時でした


さてさて

仕事をしては寝る、、、だけの毎日ですが

楽しくないか?といえばそうでもなく
楽しいか?と問われれば「普通じゃない」と答えるしかないし
たまに「オレ何でこんなことをしてるんだ?」と思うときもあるし
ときどきは「鬱陶しいな」と思うこともあるし

あまりよくわかならない生活ですね
まあ普通の生活ってそんなものかもしれませんが

世の中、ブラック企業なんて言われている会社がありますが
考えてみればタクシ~会社ほどブラック企業ってないでしょうね

そもそも給料が歩合給ですから
稼ぎが少ないと給料も少ない。もしくは0もある

ボ~ナスも昨年の夏までは金額の差はあっても全員に支給だったのが
昨年末からは売り上げが規定に達していない人はゼロ

ある人が言ってましたが
「45万円から40万円、35万円、25万円、20万円
 そしてとうとう0に」

私なんて何も知らないですので

へ~~たいして働かないタクシ~の運ちゃんで
そんなにボ~ナス貰っていたの?それ貰い過ぎじゃない

言葉には出しませんが、、、

そんなブラック企業のカタマリみたいなところでも
私としてはそれなりに居心地がいい

日本だったら変人扱いされそうですが

何でかといえば「甘い」のです
これが日本の会社か?と思うくらいチョ~甘なんです
時代遅れもいいとこ
私が社会人になったころか?
それ以前の日本をそのまま引きずっているような

日本ではフィリピン、、、というだけで変人扱いされそうですが
私にとってはこの経験があったからこそ

悪いところはいろいろあるが
今、、、とっても居心地がいい

そう感じてしまうのです

考えてみれば

指折り数えていっても悪いところだらけのフィリピンで
けっこう楽しんでいられた

その最大の原因はやっぱり、、、「甘い」
「自分にも甘いし、人にも甘い」

もちろんこれは悪い方にも作用しますが
全体的に言えば良い方に作用している、、、と私は思っています

なんたって気楽ですし
毎日がラク、生活がラク、人生が楽、、、ですもんね

やっぱり私って基本は「甘い」のでしょう

「甘い」からこそ
母の面倒を13年見れたし
フィリピンで家族を持ち、レイテの田舎で毎日格闘してきたり

「甘く」て後先のことを考えなかったから
こんなことをやれたのでしょうし

ただ、もし「甘くなくて」仕事を辞めず続けていたら
貯金はあっても楽しいことも少なかったでしょうね

そう考えると、、、そんなに悪いことでもなかったし
それはそれでよかったんじゃないだろうか

そう思ってしまうのです


そんな「アマイ」私ですから
少し前までは

年金は70歳までもらわずに1.4倍にしよう
、、、なんて思ってましたが

今では当たり前に貰おうかな

特に65歳からの加給年金はバカにならないし
あと3年半後は今ほどの体力はないかもしれない

、、、と気持ちが傾いて


「そう!甘くてけっこう」

ムリせず、気張らず、ほどほどに働き
ほどほどに楽しんでいこう

そうなってきております




最近、、、いろいろ考えることが出てきました


6月19日 月曜日

一昨日も昨日も今日も晴れ

日中はそよ風が吹き、夜になると冷え込む
福岡が避暑地になったようでいいのですが
梅の木にアブラムシがまたつき始めました

普段だと、もしアブラムシが付いても1回殺虫剤を撒けばそれでOKなんですが
気候が違うとやっぱり虫たちの生態も違ってくるのでしょう

朝、気が付いてすぐに撒こうかと思いましたが
そろそろ小学生たちが通学する時間なのでヤメました

にっくきアブラムシ

次回まで、時間をやるけど
その間楽しんでおけ

この次は必ず皆殺しにしてやるから

さてさて

昨日は父の日

私は父のケアハウスにポロシャツを2枚持って参上
涙を浮かべて喜ぶ姿につい「ホロリ」として
晩御飯を食べさせてきました

帰ってきてからネットを開くと
約2名からFacebook と Skype にご挨拶状

息子から

YOU ARE MY BEST FRIEND
YOU ARE MY BEST TEACHER
YOU ARE MY FATHER

まあ私のようなこんな人間にでもなついてくれる子がいる

嬉しいことですが

この息子、、、親の願いもむなしく
やっぱり根っからのロ~カルピノイみたいで、、、

私が死んだあとアテに出来そうもないし

せめてカミさんが困らないように中古のタウンハウスでも買っておかないと

住む場所さえあれば、あとは生活費だけですみますし
レイテなら小さな家はあるのですが
メトロマニラだと家賃も高いし

パパは今年の年末には62歳になるんだぞ、、、

「しっかりしてくれよな我が息子どん」

そう言いたいところですが、、、



しかし今回の母の死で
今まで考えなかったことも考えるようになりました

今まで「死」というものは遠くにあって
いまいち「ピン」と来なかったのですが

急に身近なものになってしまい
「あらま~~」みたいなものです

私は50歳直前まで独身だったし

「私自身好きなように生きて、好きなようにしてきたし
 あたたたちも好きなように生きて好きなようにしたらいいさ」

なんて調子だったですから

甘かったですね

今回の母の死で
「残されたものがいるし、残された者もなかなか大変」

これがわかったし

「そのためにも、なるだけ負担を軽減しておかなくちゃいけない」

これもわかりました

そして母の死が仕事を始めてからちょうど2年ぐらいで

それまでは眠くても目をこすりながら車を走らせて
「稼ぎたい」その気持ちが強かったのです

どうせ働くならもっとお金が欲しい

これは誰でも一緒でしょうが
この年になると
小さなことにこだわらず1年でも長く働いた方が実質の収入が増える

そのためにはムリをしない

これが1番じゃないかと気持ちが変わりました

せっかく年をとっても体さえ大丈夫なら続けられる仕事を見つけたのだから


年金も70歳までもらわずにいると1.4倍になるそうで、、、

私なんて何も考えていない日本人の典型で

働ける間は働こう
年金は働けなくなってからもらえばいい
ならば「70歳までもらわず頑張って働くぞ」

そう単純に考えていたのですが
どっちが収入増になるのか?

妹のお陰で
加給年金も入れて計算した方が良い

知っているのと知らないのでは大きな差が出てくるから

これを知らされました

年金もよく調べなくちゃいけないですね

62歳でもらうのが良いのか?
65歳からがいいのか?
70歳まで待つのが良いのか?

残される者がいるということは
できるだけベストにしてやらなくちゃいけませんし

母の死があったからこそ
自分を見つめ直す機会ができたし
考えることも出てきた

母の死が無駄ではなかったようです


ありがとうね

お母しゃん





また、、、新たな問題が、、、



6月14日 水曜日

だいぶ前に梅雨入り宣言が出されたようですが
私の住んでいる福岡では雨もそう降らず天気が続いて
プランタ~のバラが枯れてしまいました

きれいな花が咲くので
もうそろそろ刺し木をして大量生産しようか?と裏庭に行って

「あらま~~」とビックリする始末

雨が降らないのも良し悪しですね

夜は気温18℃ぐらいで長袖を着ないと寒いくらい

前の日曜日、仕事をさっさと切り上げて帰り早く寝たせいか
爆睡、、、12時間も熟睡してしまいました

最近の記録11時間30分を塗り替える記録が出たほど毎日よく寝ています

それで今日は朝5時から起きて

雑草取り

雨が降っていないのであまり草が生えてないのですが
小さいながら花が咲いたり実を付け始めていますので
ここでやっておかないと雨が降り出し気温が上がると一気にきますので
思い切って今日することにしました


さて、、、

私、、、6月から夜専門に勤務シフトを変えました

ホントは好きじゃないんですよね夜勤って
だいたい夜仕事をして昼間は寝ているなんて人間の生活ではないし
休みが休んだ気がしないのです

例えば今回は昨日の火曜日が休みだったのですが
月曜の勤務で火曜日の朝帰ってきて寝ると午後から夕方
すぐ夜になりますし
お酒を飲んで寝て起きると水曜日の朝

もう今日の夕方から仕事ですし

「何これ?」という休みなんです

日勤だと夕方から夜帰ってきて寝ても翌日朝から休日
丸1日休みで何でもできますよね
買い物に行ったり、家のことをしたり、近くの山でも登れます

夜勤だとフリ~の時間は同じでも夜が休み
人間やっぱり夜は寝ますし
もし寝なくても何もすることがない

「こりゃ~イカンな」と思いつつも
仕方がないかな

やっていくしかないかな、、、

それにはやっぱり理由があります

お金、、、そう金!カネ!かね!ですよね

尽きるところはこれですね。やっぱり、、、

とはいっても、、、
私とフィリピンの約2名の生活費が足りないわけではないのです

「不幸は突然に背後から襲ってくる」

犯人は父親

まだ犯人ではないのですが、、、

母が亡くなり、寂しさと悲しみが少し収まったこの頃
新たな問題が発生してきまして

母は障害者だったので父の配偶者兼特別障害者控除があったのですが
その母が亡くなると
父は独身者になってしまっちゃったのです

完全にボケてしまった90歳のジイさんが独身者というのも何かヘンですが
日本の仕組みは情け容赦なく「独身者」

所得税住民税はハネ上がり
健康保険代もウソっ、、、というくらい
それに今までは介護保険料1割負担が倍の2割に

今までも年金だけでは少し足らず貯金を取り崩す生活だったのが
母の死で一気に怒涛のように押し寄せてきて

「これどうすると?」

預金もとうとう1000万円を切ったらしく
これからは一気に減っていくだろうな

父が死ぬのが先か?お金が尽きるのが先か?

以前母を介護しているときに同じ介護している人たちから

預金が2000万円だろうが5000万円あろうがたとえ1億円あろうが関係なし
生きていれば破産するまで使い切ります
日本の仕組みがそのようになっていますので、、、

そんなことを聞いて、ここにも書きましたが
それが現実に起こってきています

姉は老人ホ~ムのランクを下げて
預金の減りを少しでも長くしたい意向らしいですが

そんなことを言っても
本人がここは食事がおいしいし楽しいと言っているのだから、、、

それを無理やり移らせて「ここはイヤだ」と言い出されたときはどうする?
もうここには戻れないし
何とか次を見つけ出しても「ここもイヤだ」と言われたら?

人の命がわかるのなら対策も打てるのですが
それがわからないので打つ手がないのです

このままドロ船に乗っていくしかないな、、、と

仕方がないね。もし長生きしてお金が尽きたら家に連れて帰り
私が仕事をしながら面倒見るしかないかな?

「結局、南極そういったことになるかもしれない」

姉と妹にはまだ言ってませんが、、、

そうすると私が夜勤して朝と夕方面倒を見て昼間はデイサ~ビスにやって
その間に寝るしかないようになります

実際にお金が尽きるのはまだだいぶ先になりますが
私の性格ですから
いずれそうなるかもしれないのなら早めに慣れておいた方がいい

「人生、一寸先は闇」ならば貯金もあった方がいいし

しかし人生、、、一難去ってまた一難

人生を終えるというのは意外と大変なことなのかもしれませんね

まあ今までがラクし過ぎだったのかもしれませんが、、、

福岡のような地方都市でタクシ~の運転手やっていても
何とか生活していけるというのは
家族の約2名がフィリピンにいるので日本ほど生活費がかからないことと

私が日本にいても父の持ち家ですから家賃はいらない
ついでに、、、
昔から固定資産税、電気、水道、ガス、電話、ケ~ブルテレビ代は父の口座からの自動引き落とし

父が亡くなればそれが一気に押し寄せてきます
まあそれでも家賃を払うことを考えればタダみたいなものですが
今までの貯金分が消えていきそう

やっぱりがんばって働いて
今から備えておかなければ、、、

父の介護をしながらにでもなると
仕事も今ほどにはできないかもしれないし


なかなか私の人生

ラクなまま一生を送らせてはもらえませんね

今晩からまたシコシコと、、、

ボツボツながら働いていきます


健太郎よ

高校は公立のLas Pinas Science High Schoolに行ってくれよな