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徳衛門

Author:徳衛門
ほんのひとり言

青い空と酒があれば
どこだって住めるさなどと
若者じゃあるまいし

しかし年は気にせず
姿かたちも忘れてしまい

世間様に恥と顰蹙を
撒き散らしながらも
生きてます

AquariumClock 2

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日本とフィリピン 往復おやじのひとりごと
フィリピンには愛しき妻子? 日本には世話のやける爺婆? こちらを立てればあちらが立たず? どちらに行っても肩身がせまい・・・ ハズですが・・・ 大きな顔してエンジョイしてます
なごり雪


4月9日 月曜日

桜も散って今、藤の花が満開です
去年より少し季節の移り変わりが早いようですが
6日から突然の寒波
翌日には霙からとうとう雪までが降って

「なごり雪」にしてもちょっと遅いんじゃない?
もう4月7日なのに

数日前の初夏の陽気はどこに消えてしまったんだろう

そんなところで、、、

昨日、母の1周忌をしました

本当は6日なんですが
しがないタクシ~の運転手

「金曜日はちょっとマズイのよね」

それで日曜日に

1周忌といっても私と妹の2人だけ

花を飾って果物、お菓子、好きだったものをお供えして
それから父のところへ夕食を食べさせに行って

父は喜んでいましたね
2人揃っていくと嬉しさもまた違うようで

このところ足も弱り歩けなかったのですが
昨日は調子も良くなったらしく
少し前には声も出ていなかったのですが
最初は希声だったのが段々と言葉になってきて

「徳さん」

お~~1か月ぶりに私の名前を思い出したバイね

戻ってきて妹と少しお酒を飲んで話して

妹が帰っていくとき

「今日は本当に良い日だったね。来てよかった」

あまりたいしたことは出来ませんが
ささやかながら良い時間を持てた

それだけでも充分ですし
これも母が作ってくれたもの

母が亡くなって1年たちますが
まだまだ存在感たっぷり

この家は母の家
そこに住まわせてもらって生活していますし

私がフィリピンに行くまで
一緒に過ごしていきましょう



もうずっと曲を張り付けてなかったのですが
突然のなごり雪も舞っていましたし

替え歌ですが
若いころのようにセンチじゃない自分がいて、、、

約2名のためにも、自分のためにも
笑って今日も働きましょう

それでは、、、

なごり寿司












初めての「立ち眩み」


4月4日 水曜日

昨日から初夏の陽気の福岡です

明後日は母の1周忌

梅の剪定したり雑草取りをしたり
私なりの準備をしていました

ところが、、、

脚立に上って顔を上向けて枝を切っていると
「立ち眩み」が
少しして収まったので
またやっていると、、、もう1回きました

今まで立ち眩みなど経験がないので
正直言って「怖い」ですね

2日前だったか?
後ろに乗っている若い男女の声がうるさいほどに大きく感じたのです

実は私、数年前に軽い脳梗塞を起こしたのか
左耳が聞こえづらくなっていて
今までタクシ~に乗っていてうるさいと感じたことはなかったのですが、、、

あわてて医者から言われた通り
口を動かしシビレはないか?
左右の手足に異常はないか?

とりあえずは、、、大丈夫、、、と思ったのですが
やっぱり体に異変が起きているのでしょうかね

母方の祖母と伯父が60歳少し超えたあたりで脳梗塞で半身麻痺に
母はふたりが亡くなった67歳で同じく麻痺してしまいました

あと5年は働かなくちゃいけないし
今、倒れるわけにはいかないんですが
目に見えないから怖いですよね

今日は年金のことでも書こうかなと思っていたのですが
身体の異変の方がショックで

意外と、、、

誰でもそんなことはあるのかもしれません

ただ、、、人に言わないだけで

もっとも人に言ったところでどうにかなるものでもないし
皆さん黙々と働いてあるのかもしれないですね


そんなところで
忘備録がてら書いてみました



こどもの成長


3月26日 月曜日

穏やかに晴れて、、、桜も咲いた福岡です

やっぱり春はいいですね

私が働いている時間はまだ冷えますけど、、、


さて、、、

1月28日から2月5日にフィリピンに行ったことは書きましたが
息子のケンはもう12歳

毎日のようにカミさんと口喧嘩みたいで、、、

私はカミさんに「少し距離を置け」
そう言っているのですが
ピノイのカミさんはそれがわからない

やっぱり世界観が違うのでしょうね

親子なのになぜ少し距離を置かなくちゃいけないのか?

そうは言っても
相手も少しずつ大人に成長していくのだし
大人になってしまえば少しゆとりも出てきて
それなりに話もできるのだけど

今はその過程の最中だし

相手もいっぱいいっぱい
背伸びして、つま先立ち状態の連続時に
あまりにいろいろ言われ過ぎると反発もするだろうし

しかしピノイの家族の関係は濃密だし
私もそれが好きでもあるのですが

ただ、息子は日本人の血が入っているし
カミさんが見てきたピノイの子とは少し違う部分もある

そこは認めてほしいところですが
自分が産んで、赤ちゃんの時から二人っきりで暮らしてきたのですから
やっぱりですね

母親の言うことは何でも聞く良い子
それがいくつになっても、、、

それはそれでよいことなんですが

ピノイによくいる
いくつになっても大人になれない男たち

それでは困るし

私は日本人ですから
ゼッタイに息子にはそうなって欲しくはないし

なかなか難しいところでもあるのですが

そして、それを伝えきれない私がいる
ここが問題なんですよね

ましてや私は日本でタクシ~の運転手
それも夜勤専門
人間の生活じゃない日々が続いています

カミさんは「昼勤に変わって」

そっちの方が明るいし視野も広がって
危険は少ないし
人間の暮らしにはなれるのですが

なぜそんな危険な夜に働いているか?

そこはピノイ思考で、、、飛んで行っちゃうのです

まあ、そこのお気楽思考がピノイの1番の魅力ではあるのですけど



話は変わって

滞在中、息子は夜遅く勉強が終わると

「ぱぱ チェス」

「もう遅いから3局だけだぞ」

しかし、、、

始まって5分もたたず「チェックメイト」

「あらら~~なんやこれ」

次は3分経たずに「チェックメイト」

3局目は3手目か4手目
時間にすると1分少々で「チェックメイト」

タブレットのチェスゲ~ムをやっているのと
以前、渡比したとき買ってやった詰将棋の手引き本のチェス版
けっこうな厚さのモノですが
これで日夜研究しているのでしょうが、、、

最初は少し警戒してましたが
相手が弱いとわかると一気に攻めてきますし
3局目は1発で終了させるべく仕組んでおったのですね

「くそ~~図に乗りおって」

そう思うのですが

しかし、、、親の身元はバレバレ

気分を変えて
ケンお前は出来ないだろうと
立ってギタ~を弾きながら歌を歌うと

ヤツめ私が歌い終わるとすぐにギタ~を手に取り
弾きながら歌いだします

ギタ~もだいぶうまくなってますし

ヤツめチェスだけじゃなくギタ~にもかなり時間を割いておるな、、、

「そんな暇があったら勉強せい」

そう言いたいところですが
私の子だし、、、

なんたって
数学でも私がル~トに弱いことを一瞬にして見破られ

情けないやら、哀しいやら

もうシミジミ、、、
見栄を張れる時代じゃないんだなと

悲しいような、嬉しいような

こいつはこいつなりに成長しているのだな
ちょっと前まで甘えん坊の子どもだったのに

今、本当は父親が側にいて
伝えることをしなくちゃいけない時代なのかも

きっとそうなんでしょうが
それが出来ない

昔の人のように
「親はなくても子は育つ」

ピノイのようにお気楽思考で済ませればよいのですが

親の欲目が出て
もどかしい気持ちになります

そうやって親も成長していくのでしょうが
私は62歳

成長という言葉を使うにはちょっと恥ずかしい年になってしまいました



日ごろは忙しすぎて、思うことがあってもすぐ忘却の彼方へ
その繰り返しですが

たまには書いてみる

それも良いことなのかもしれませんね



そんなところで、、、







ボケてきたのか、、、?



3月22日 木曜日

もうお彼岸みたいですね

しかし福岡は雨で寒く
早く暖かくならないかな、、、などとつぶやく日が続いています

今、久しぶりにブログ画面を開くと

前回が12月31日

もう3ヶ月近くたったんだ

月日の流れが早すぎて、、、

付いていけないというか
歩調がまるで合ってない

だいたい、、、最初の1歩を出してないのですから
合うわけもないですけど、、、

かといって、、、

今更「新年明けましておめでとうございます」などとは言えないし

考えてみたら、私も62歳
昔だったら定年して7年、ちょっと前でも2年
天気の良い日は、縁側で日向ぼっこしている世代でしょうし

それが昔よりチョ~忙しく、世知辛い世の中に
13年も仕事もせず母の介護半分、フィリピンに半分だった自分が
突然、飛び込んでいるのですから

こっちに夢中の間はあっちはまるでヌケている

まるでピノイ状態というより
ボケ老人そのまま、、、


去年の10月か11月頃だったか
近所の老人ホ~ムにいる父親を訪ねた時

「徳さん、、、お母さんが『お父さんはどうしようね』と聞きよらんか?」

「あなたの奥さんは4月に亡くなったでしょう」とも言えず
「う~~ん そうね、、、」と言葉を濁してしまいましたが

今、考えてみると、、、

私より父の方がほんの僅かに期間が長いだけで
そう大差ないような気が、、、しますね


もうずいぶん遠くなりましたが
1月28日~2月5日までカミさんとケンがいるラスピニャスに行き

「やっぱり暖かいところがいいな」

私のことですから忙しい毎日でしたが
帰る前日は

「このままここに居たい、日本に帰りたくないな」

心底そう思いましたし

息子は今月小学校を卒業

カミさんが「中学校はどうする?」
「そうね。ケンは今の学校に馴染んでいるだろうが環境を変えた方がいいだろう」

書くことはそれなりにあるのですが

記憶は飛んでいき
いつのまにか月日は過ぎ去っていく

これはボケ防止に何か書いた方がいいな

いや 書くべきだ

このままだと父親のようになってしまう

そう感じた今日でした







日々が経つのが早過ぎみたいな、、、


12月31日 日曜日

今日はもう大晦日

ついこの前
「明けましておめでとうございます」
そう言ったような気がするのですが、、、

年を取ると月日が流れるのが早すぎますね

「寒い寒い」と言ってたらすぐ桜が咲き
「暑い暑い」と言ってた夏が終わるとすぐクリスマスがやってきて

瞬く間に
まるで、、、トコロテンかこんにゃくのように押し出されていきます

「あらま~~もう明日から平成30年」

2018年が始まってしまう


昨日は私の62歳の誕生日

若いころは自分の年と今年が終わるので
感傷にふけるヒマもありましたが

この年になると、そんなもの感じる暇もなく

「どうにかして!」と言いたくなるほど
月日が飛び去っていきます

2,3日前だったか?乗務中にお客さんにその話をしたら

「それは毎日が楽しいからですよ
 ヒマを持て余したり、その仕事がイヤだったらゼッタイそんなことはありません
 私が見るところ
 あなたはこの仕事に向いているし
 良かったですね。自分に合う仕事をして毎日を過ごせるって」

私としては、、、

向いているとは思いませんが
まったく向いていないとも言えない程度なんですけど

以前にも数人から
同じように「楽しく過ごせて良いですね」
そんなこと言われたのです

私の顔って楽天的に見えるのでしょうか

それはそれなりに「イロイロ」あるのよ
そう言いたいところもあるのですが、、、

苦痛と苦闘の日々
1日が長く、1月が長く
やっとこの1年が終わった

そう思うことなく

まるで新幹線に乗っているように「あっ!」という間に1年が過ぎ去って
いくら何でも「アッサリ」し過ぎてない?
私の人生って、、、特に最近は、、、?

そう思える方が幸せなんですかね

よくわからないところです


なんとなく、、、

この前書いたニコ君の父親、たぶん私と同じ年だと思いますが

1月ほどの前の朝
起きてこないので見に行くともう心臓麻痺で死んでいた

超特急のように日々が過ぎ去っていくと
私も一緒に駆けのぼって

「逝ってしまった」

そんな気もするのですが、、、



ところで、、、

最近はそんな調子で書くことも少なくなってしまいましたが
この1年、私の駄文を読んでくださった方々

どうもありがとうございました

皆様にとって2018年が良い年でありますように

「来年もよろしくお願いします。
 良いお年をお迎えください」